
【拡散大歓迎!】静岡県牧之原市の家族経営のステキなお茶工場で働いてみませんか?
高級茶葉の栽培から、自社工場での荒茶製造までを一貫して行っている名波園(須々木区822)では今、この春の一番茶から秋の秋冬番茶の時期まで、夜勤担当として勤務してくれるアルバイトと従業員を各1名、募集しています!
アルバイトさんは1日7.5時間労働で、時給2000円!! 自前の寮は宿泊費も光熱費も無料です! それ以外の条件は、委細面談ですが…繁忙期以外は、勤務日や時間は融通が利きます!!
私がスポーツ紙記者だった17年前から、公私に大変お世話になっている園主の名波隆雄さん(67)からの切実なお願いなんです。牧之原市の誇る日本屈指の強豪インディアカチーム『将軍』の元監督なんです。
須々木の秋祭りで、若い衆にスーツ姿で川に突き落とされたワタシを助け上げ、ご自宅のシャワーとご自身のスウェットの上下とパンツまで貸してくれた恩人でもあるんです。
名波園は一昨年、お茶業界を支援する静岡県の『ChaOIプロジェクト推進事業』に採択され、市内新庄区に新しいお茶工場を新設しました。長年に渡る茶価の大低迷の真っ最中の挑戦だっただけに「ホントに大丈夫?」と自他共に不安いっぱいのチャレンジだったのですが…
工場稼働初年度の昨年、全世界的な碾茶(てんちゃ)&抹茶ブームが突然、到来! その後押しを受けて、煎茶や深蒸し茶などすべてのお茶の価格まで、前年比3~6倍にまで高騰したのです! 斜陽産業と言われていた茶業界は今、希望と期待に満ちあふれています。
「空前の追い風が吹いている今こそ、高品質のお茶をいっぱい作って、牧之原と静岡県の茶業界の活性化にも貢献したい。そのためには、働き手が必要なんだよ!」と名波社長は鼻息荒く言い切りました。
やる気と根性さえあれば…経験も年齢も性別も国籍も不問です!! 緑輝く茶葉から漂う芳ばしい香りの充満するステキな工場で、働いてくださる方をお待ちしています!!
お申し込み&お問い合わせは…名波園(0548-52-2882)まで!
【仕事内容】
・摘みたての生葉を機械に投入し、蒸す・揉む・乾燥させるといった『荒茶』にする工程のサポート。
・生葉の運搬・投入がメーンですが、機械化が進んでいるため、過度な力仕事は少なめです。
・機械の操作補助や設定のチェック
・工場内の清掃・片付け
※未経験の方でも、最初は先輩が丁寧にお教えします。
【仕事の魅力】
・工場内は常にお茶の爽やかな香りでいっぱい
・自分の関わった茶葉が、製品として形になっていく実感、達成感。
・メリハリのある働き方。繁忙期(4月~6月)は活気があります。
それ以外の時期は残業も少なく、プライベートと両立しやすい環境です。
【こんな方にお勧め】
・お茶や農業に興味がある。
・黙々と作業に集中するのが好き。
・日本の農業、地元の産業を支える仕事がしたい。
ひさかたの光のどけき春の日に
静心なく花の散るらむ ー 紀友則
天皇誕生日の本日、春一番が吹きました。地元の神社で『天長祭』の神事に参列しました!
静岡県は前知事の発案から2009年、2月23日を語呂合わせで〝富士山の日〟と制定。令和になってからは山梨県と交互に、富士の麓で大規模な記念イベントを共催していましたが…
知事が替わって2回目の今年はもう、お金の掛かる式典はありません! やっぱり世の中は、為政者…リーダーによって変わるのです! 国政もしかり。そういうものです!

サルサ界唯一無二の巨星ウィリー・コロン(Willie Colon )が亡くなってしまいました。享年75。悲しくて、悲しくて涙が止まりません!
今の私しかご存知ない方には、信じられないかもしれませんが…20代前半からの私のもう1つの人格を形成する〝ラティーノ〟の魂には、彼の曲と歌詞が血液のように流れています。
中南米放浪から帰国した直後、大学5年生となって迎えた23歳の春、恵比寿のラテンバーで知り合ったJICAの研修生として来日していたパナマ人の板金工・シルベストレから、サルサ音楽とウィリーの歌を教わりました。衝撃でした。
一般的に軽快にして哀愁の漂うサルサのリズムは、日本のド演歌にも通じる愛憎の入り乱れる歌詞に象徴された情念のダンスミュージックなのですが…ウィリーは、盟友のルベン・ブラデス(Ruben Blades)らとともに、米国や中南米社会が抱える深い闇…差別や不平等や犯罪、そして同性愛やエイズ問題にまでもスポットライトを当て、政治的な影響力を得て、世界中のラティーノから絶大な人気を博しました。
ニューヨーク・ブロンクス生まれのプエルトリコ人の彼の偉大な功績を、どんなに冷静に紹介したくても、ありとあらゆる美辞麗句を散りばめて礼賛したくても…力不足でできません。しかし、彼の珠玉の作品の数々に出会わなかったら、私はすぐにスペイン語を忘れたでしょう。朝までサルサを踊ることも、コスタリカ人の妻と結婚することもなかったはずです。
若き日に新宿のレコード店で買い漁った彼の輸入盤のCDが、自室に33枚もありました。トロンボーンやトランペット奏者として参画したり、弟子のエクトル・ラボー(Hector Lavoe=故人)に歌わせたアルバムを合わせれば、50枚を超えます。CD1枚が2000~3000円だった時代に、貧乏学生の自分がどれだけウィリーに心酔していたのかを、今さらながら実感しました。
おかげでサルサ史に輝くヒット曲はほとんど全部、空で歌えます! 日本のカラオケには入っていないのが残念でなりませんが(笑)…CDは聴かなくなった今でも、悲しい時や辛い時にはYouTubeやSpotifyを開いて、真夜中に独り熱唱しています。