
このところ連日、参議院議員選挙の全国比例区の立候補者のみなさんの集会や個人演説会に出向いて、応援活動に注力しています。
本日は、掛川市生涯学習センターで行われた岸博行候補(62)の演説会に伺いました。辛口の経済評論家として長年、自公政権の政策を厳しく批判してきた岸さんが、どうして今回、自民党から選挙に出ることを決めたのかに大変興味がありましたが…お話を聴いて納得しました。
「20年もの間、与党を批判してきた僕がなぜ今回、自民党から選挙に出ることを決めたのか? 『見損ないました』『自民党の手先になるんですか?』。出馬会見以降、僕の耳にはたくさんの厳しい声が届きました」
「こうした反応が起こるのも、当然のことだと受け止めています。出馬を決めた理由は主に2点あります」
「1つは今の僕が、多発性骨髄腫という血液のがんの一種に罹患していて余命宣告を受けている身であること。そしてもう1つは、まさに今、日本の経済を復活させる好機が訪れており、残り少ない命をかけてその道筋をつけたいと思ったからです」
「幸いなことに末期のステージではなかったものの、完治が難しい病気です。主治医から『正しい治療を受け続ければ10年は大丈夫』との説明を受けましたが、だから、僕はその宣告を受けた時『人生は残り10年』と覚悟を決めました。それが2年前のことですから、現在は『残り8年』ということになります」
「今の自民党の経済政策を党の中から正すため、人生残り8年で立候補しました。当選して自民党の中で暴れたいんです。生活が苦しい人の収入を増やす政策が大事。党を変える自信もある。がんになって薬のありがたさを知りました。僕は自民党の劇薬になりたいんです」
自身の余命を『8年』と定めて、それをリーフレットや選挙ビラに記載し、命が燃え尽きるその日まで「日本経済復活に取り組みます!」と、不退転の覚悟で堂々と宣言する姿に感銘を受けました。
ワタシも課題や問題が山積している静岡を「圧倒的な最大会派の内部からどんどん解決したい。生きているうちに、よりよい静岡県に変えていきたい」…という熱い思いを常に念頭に置いて活動しています。その目標のためなら、鉄砲玉にも劇薬にもなる覚悟です。
悲願成就を目指すために「急がば回るな!」と豪語したのは、ワタシがゴルフ担当記者だった2007年、当時16歳の石川遼選手でしたが…あれから18年。。ずいぶん回り道をして今の立場にたどり着いた還暦男のワタシも、それが一番の近道だと信じています。

明日の新聞等で大きく報道されると想いますが…本日静岡市のホテルで、参議院選挙静岡県選挙区の情勢に関して、自民党県連が〝緊急選対会議〟を開催しました。