
今から30年前の1995年3月20日は、オウム真理教による『地下鉄サリン事件』が起こった日です。あの年は、翌日の21日が春分の日だったので普通の月曜日でした。
当時スポーツ新聞のサッカー担当だったワタシは、Jリーグ開幕節開けの貴重な休日で、事件が発生した午前8時ごろは横浜・日吉の自宅アパートで寝ていました。
携帯電話もパソコンもなかった(=持っていなかった)時代ですから、いつどのようなタイミングだったか記憶は定かではありませんが…テレビをつけると、いつも利用している地下鉄日比谷線の築地駅周辺が、パニック状態になっていました。
2日後に、警視庁がオウムの関連施設への強制捜査に着手すると、マスコミの報道はオウム一色になりました。スポーツ紙もです。事件の規模や背景はもちろん、教祖の麻原彰晃を筆頭に凄いキャラが勢揃いしていたこともあり…連日、1面から社会面までオウムの記事で埋め尽くされたのです。
担当のJクラブの練習記事など不要になったワタシは、社会部に急造されたオウム班に組み込まれ、池袋の本部や世田谷の道場はもちろん、富士宮市の富士山総本部や山梨・旧上九一色村の教団施設の前にも派遣され、他の若手記者と交代で〝電柱〟をしていました。電柱とは、キーポイントで何かあった時のために、現場でボーっと立って見張りをする役です。
そこから先は、本当にいろんなことがありました。5月中旬に麻原が逮捕され、オウム班から完全に解放されるまでの間、事件や社会ネタの様々な取材と出稿を経験したことが、その後の『在ペルー日本大使公邸人質事件』や静岡支局でのワタシの〝自称社会派ジャーナリスト(笑)〟としての活動に役立ちました。
今、こうして地方政治家に転身し、連日連夜それほど苦労もなく、硬軟入り混じった長~い文章を書き連ねることができるのも、30年前の日本を揺るがしたこの大事件の報道に関われたおかげです。
今夜は独り、当時どこかでゲットした麻原尊師の著書『亡国日本の悲しみ』を読んでみようと思います。

家の庭の河津桜が終わり…今は木蓮が綺麗です! 野鳥についばまれまくっていますが…(´▽`)