大石哲司の『躍進21』
年末年始は遠出はせず、牧之原市静波の自宅の広い母屋内を整理&清掃しています。9年前の2016年(平28)11月の父哲司(享年77)の死後に、妻と移り住んだ両親が住んでいた自宅敷地内の離れ(=別宅)を昨夏、結婚した次男夫婦に明け渡したため、実に10数年ぶりに築百年の本宅の自室に帰って来たからです。
こちらももともとは父の書斎だったので、私の市議会議員時代の書籍や資料以上に、旧榛原町議会議員(1期)から助役(1期)、町長(4期)。そして県議(4期)に至る父の約40年の政治家人生の記録や活動報告、リーフレットや著書まで、どちらの建物内にも山のように現存しています。
本日は、段ボール箱に詰められた2014年(平26)11月の父の県政報告『躍進21』を押し入れの奥から発見しました!! 今から10年前、当時も今も県議会の最大会派である自民改革会議の幹事長だった父の「富士山静岡空港に東海道新幹線の新駅を造るのだ!!」という熱い思いのほとばしる瓦版でした。
確かに、発行当初も読んだ記憶がありますが…当時のワタシは、一介の被災地支援ボランティアから牧之原市議会議員に当選してわずか2年目。もちろん「空港新駅ができたらいいなあ…」とは思っていましたが、この県政報告に書かれれている夢と希望に満ちた父の思いを完全に理解していたわけではありませんでした。
先の12月議会の代表質問でワタシも取り上げましたが…ちょうど10年前に、自分の父親がジャーナリストだった自分よりはるかにわかりやすく、説得力のある味のある文章を書き連ね、新聞の折り込みで地域全域に配架していたことを改めて思い出し、胸が熱くなりました。
その後ワタシが県議に初当選したのは、時代が平成から令和に移り変わる2019年の4月でしたが…そのころの県議会内の空気は「空港新駅? 無理無理! 絶対無理!」「できっこないし、東部・伊豆や浜松の県民にメリットもない。要らないよ」という感じでした。無所属新人のワタシが一般質問で取り上げても、マスコミや世間の反応はほとんどありませんでした。
しかし、空港駅をリニア新幹線南アルプストンネル工事との〝交換条件〟だと捉えられることを極端に嫌い、令和になってからは「リニア開通前の空港新駅設置」の話は一切しなくなった川勝前知事とは対照的に、リニア期成同盟会で山梨県の長崎知事が「リニアの駅は静岡県内にできなくても、代わりに静岡空港に東海道新幹線の新駅ができれば、静岡県民にも大きなメリットが生まれるし、山梨県民もうれしい」と提言してくれてから、風向きが明らかに変わりました。
今では、往年の父の獅子奮迅ぶりを知るベテランや中堅の県議の先生方はもちろん、この文章が書かれた10年前の雰囲気を知らない同期や若手の県議のみなさんもみな、静岡県と静岡空港の発展のためには「新幹線新駅は必要なのだ」ということをしっかりと理解してくれていますし、その証拠が昨年12月5日のワタシの代表質問だったのです。
残念ながら10年経っても、根本的な状況は変わっていないどころか、新幹線新駅は東京五輪にも大阪万博にも間に合いませんでしたが…いよいよ、ここからが仕切り直しです! ワタシは自他ともに認める〝不肖の息子〟ですが、今年からが勝負の時、「大石けんじの政治生命を賭けた戦いの始まりなのだ」と改めて実感しました!!