川勝知事辞職宣言の波紋
川勝平太知事(75)の〝逆ギレ電撃辞職宣言〟が全国的な大ニュースになっています。
新規採用職員への訓示で、問答無用の職業差別発言して批判を受け、昨日2日に辞意を表明した知事は3日も、県庁内で記者会見し、「心を傷つけた人たちにおわびしたい」と謝罪しました。しかし、今回の唐突な辞職宣言に至った最大の理由は「今回の暴言の責任を取って」…ではなく、自らが「公約、懸案と位置付けていた『リニア中央新幹線の問題に一定の区切りがついから』と平然と話し、長々と説明を始めるなど、ますます差別された方々や県民の神経を逆なでする言動に終始しました。
川勝知事は初当選から15年間の知事生活について「私の人生における最高に充実した15年だった」とし…その上で「第1次産業である農業、酪農、あるいは水産業。これらは最も大事にしてきた産業であり、そういった方たちの心を傷つけたとすれば、誠に申し訳なく、心からおわびする」と短く頭を下げました。本当は「傷つけたとすれば」じゃなくて「全員を傷つけた。怒らせた」のですが、知事の言い分では前日同様「そんな差別的なことは思っていないし、言ってもいないのに、報道の切り抜きでそう誤解した方々がいたとすれば残念無念」という論調でした。
過去の自身の言動が批判を浴びたことを振り返り…「その都度、以後このようなことのないようにと努めていたが、再び、思いもかけない形で(今回の問題が)浮上してしまいました。これは自らの不徳の致すところです」と一応、陳謝。しかし、「私の『職業』に対する気持ちは、常に尊敬と敬愛であり、(今回の発言は)本当に本意ではなく、心からお詫びしたい」と謝罪を重ねたと思ったら…「人を傷つけたかもしれませんが…私の心も傷ついています」と弁明。。 加えて、問題視された一連の発言についても「悪かったという思いはありますが、言葉不足、説明不足だった」と言い張り…やっぱり頑なに撤回はしませんでした。
最後の質疑応答で、記者から「これで政界引退ですか?」と問われると…「これからも勉強は死ぬまで続けたいですが、他の選挙への出馬は全く考えていません」と言い切りました。。6月まで知事を続けるということで「6月に支給されるボーナスを受け取りますか?」「退職金はどうしますか?」等について聞かれると「まだどうなるかわかりませんが、規則通りにしたい」と言葉を濁しました!!
春の雨が降り続いた本日3日、ワタシが理事を務める公益財団法人培本塾の塾舎で『勤労観音供養祭』が行われました。
塾所有のグラウンドで、長年部活動の練習を続ける榛原高校野球部の部員とマネジャー、指導者の35人も参列しました。
今を去ること89年前の1935年(昭10)4月12日、当時15歳の旧制榛原中学4年生だった藤野道雄さん(東萩間)が、不慮の死を遂げました。
塾舎の建設予定地で、仲間の生徒たちと一緒に山肌の切り崩し作業中に、突然崩れ落ちてきた大石が頭を直撃。直後には土砂にも埋もれて、ほとんど即死だったそうです。
培本塾は「勤労を通して人を創る」教育の道場として、翌年の1936年(昭11)1月25日に発足しました。
創設者だった当時榛中校長の小田原勇氏は、殉死した藤野少年の尊い霊を慰めるため『勤労観音像』を建立。以来90年近くに渡り、塾関係者は毎年4月の初めに慰霊祭を続けているのです。
藤野さんの死から51年後の1986年(昭61)の『培本塾創立50周年記念誌』に、同級生だった故・柴清次郎氏が、親友を偲んでこんな文章を寄せています。
「先の戦争で、国のため、東洋平和を祈って、幾百万の若者が死んでいったけれども、今日三千人の若者が中国に行き、日中の平和と親交が行われている。
このことこそが、戦争で死んでいった若者の霊に報いる唯一のものであると同じように、榛原高校の生徒が培本塾を教育の良き場として愛し、利用することが藤野君の霊に報いることになる。それでこそ、勤労観音が浮かばれる所以のものではないだろうか」
僧侶の読経に頭を垂れながら…89年の歳月が流れた令和の今日が、在りし日の藤野少年や柴氏が願ったような平和で理想的な時代ではないことを寂しく思いました。
本日午前8時58分に、台湾の東方沖の地下23kmでマグニチュード7.2の地震が発生し、台湾各地で大きな被害が出ています。震源が浅く、直下型地震に近いので、能登半島地震と同じくらいの規模だそうです!
台湾人の友人から詳しい連絡がありました。ビルが倒壊したり、環状線の高架がずれたりしています。沖縄の漁船が台風接近時に避難することもある無人島・宜蘭亀山島の頭部(先端)の巨大な岩盤が、ボキッっと折れました!
台湾は、東日本大震災時も今年の能登半島地震でも…他のどの国よりも日本の被災者に寄り添い、被災地に多額の義援金を送ってくれた親日国です! 日本政府もマスコミも地震発生から2時間は、沖縄地方への津波注意報ばかりを連呼していましたが…今後は台湾の情報を流して欲しいものです。