吉田町から被災地へ
吉田町の友人Yさんから「能登半島地震の被災地に支援物資を届けて、昨日帰ってきました。2往復目です」と連絡があったので、お話を伺ってきました。恥ずかしがり屋なので、イニシャル表記です。
Yさんは、ここ数年群発地震が頻発していた石川県珠洲市に昨年だけで3回も足を運び、被災地のお年寄りや小学生のために、マットレスや防災頭巾を寄贈するボランティア活動を、個人で続けてきた素晴らしい男です。
人脈も土地勘もでき、愛着も生まれた能登半島を襲った元日の大地震に居ても立っても居られずに2日後の1月3日、支援物資や近所の無人販売所を回ってかき集めたミカンなどの食料を8人乗りの会社のワゴン車に積み込み、700km以上も離れた半島の先端の珠洲市を目指しましたが、寸断された道路は通行止めのため、どうしても近づけずに断念!
現地の関係者の要請で、やはり壊滅的な被害を受けた輪島市と志賀町の避難所を回り積み荷を降ろしながら、被災地の現状やニーズの収集に努めてきました。
翌日、輪島市から地割れだらけの道を7時間半もかけて県都の金沢市に出ると、支援物資の中継地を確認して、すぐにそこからまた8時間かけて帰宅。1日休んだだけで、再び現地に向かい…道中で現地で要望された生理用品や炊かずに食べられるアルファ化米などを大量に購入して、今度は七尾市、能登島、志賀町の被災者に届けて、帰って来たそうです。
Yさんは休む間もなく、本日は静岡市内で看護師の資格を持つ女性経営者とミーティング。再び今週末には、2名の看護師を連れて、北陸に向かうのだとか…。ただただ感心し、手を合わせて拝みたくなるほどの善行に胸がいっぱいになりました。
「ケンジさん! 困った時はお互いさまですよね? 静岡だっていつ大震災が来るかわからない。ボクはひどい道も雪道も慣れているから、警察や消防の邪魔にならないで、ちゃんと物資を届けれられます。ご心配なく!」と笑顔で話してくれました。
現地には、カップ?やパン、非常食類は届いていますが、新鮮な食材、特に野菜や果物はないそうです。「必需品の大部分は途中で買えるので、静岡からは美味しいミカンとかを持っていけたらいいですね。ボクが届けますよ」と力強く話してくれました。
みなさまのご協力をお待ちしています。