
私は本日未明、焼津市の山中で妻と一緒に〝遭難〟しました!
正直、心底悩みましたが…恥を忍んで告白します。災害や事故の際には、いつも頼まれなくてもあちこちに顔を出し、あたかも敏腕ジャーナリストや危機管理の専門家のような顔をしている男としては屈辱的な出来事でしたが、自分にとって都合の良いことだけを投稿するのは、ポリシーに反しますので。。
昨夜は静岡市内で、前職のNPO法人ボランティア協会主催の岩手・大槌町のおおつち保育園の八木澤弓美子園長先生を囲む会がありました。東日本大震災の大津波で、ママがお迎えに来た9人の園児たちを亡くした悲劇の語り部として日本全国で講演活動を続けている八木澤先生や支援者のみなさんと、命の大切さや幼児保育の役割や重要性を語り合いたくて、台風接近の大雨の中でも出かけました。
素晴らしい歓談と最高の料理とお酒に酔いしれた懇親会がお開きになった後、赤い顔の私を妻のマリアネラが、わざわざ車で迎えにきてくれました。そのころはもう豪雨。携帯の緊急事態速報がひっきりなしに鳴り響いていました。ネラさんが「高速道路は怖い」と言うので、下道を帰ることになりました。
東名に並行する国道150号の日本坂トンネルを抜けて、焼津市に入った瞬間に、景色が一変しました。辺り一面水浸しで湖のようになっていました。最初の信号の所で、前方の車がすべて右折して山側の高い道に入っていきました。
まったく土地勘のない私でしたが「山道を通って岡部町のあたりまで迂回して、帰ればいいか?」と漠然と考えて、妻に北上を指示しました。最初はスマホのグーグルマップで経路を探したのですが…その時点では、最新の道路情報が反映されておらず、ひたすら今来た道に戻るようにアナウンスされるので、アプリを閉じて、車のカーナビの画面での進路選択に専念しました。
それが最悪のミスでした。10年前のカーナビは、対向車とすれ違うこともできない林道や獣道のようなハイキングコースまで最短ルートとして表示するからです。あっと言う間に迷路に迷い込みました。あんなにたくさんいた前後の車は、いつの間にか1台もいなくなりました。
いちおう人家は続いていたので、そのまま前進したのですが…視界が見えないほどの土砂降り。そして、道路の脇のガードレールのない沢は凄まじい濁流と化していて…すっかり萎縮した妻はハンドル操作を誤り、左の前輪を脱輪させてしまったのです。
妻の車はマツダの前輪駆動なので、ギアをバックに入れても空回りして動きません。ちょうど右から落ちてくる川が道路の下をくぐって左に替わった位置だったため、道路上も流れてくる雨水を見て、身の毛がよだつ恐怖を感じました。
周囲は暗闇でした。前からも後ろからも車は1台もやってきません。来たとしても、外にも出られない豪雨ですから何もできませんでした。ブレーキをパーキングに入れ、2人とも車の右サイドに移動して、青い顔でJAFの緊急ロードサービスに電話をかけ続けました。ずっと「ただ今大変混みあっています」という録音メッセ―ジだけが流れていました。
1時間ぐらいたったでしょうか? 奇跡的に電話がつながったのです。会員番号と自分のいる位置を伝えると…「今、周辺は大変な状況になっていて、そちらに向かえる車が見つかりません。配車が決まり次第、折り返しますので車内で静かにお待ちください」。
まあ、当然のように…いつまでたっても電話はきません。。1時間あたり120mmだったという記録的集中豪雨が、普通の雨に替わった午前3時すぎまで、まんじりともせずに過ごしました。ちなみに地デジは入らず、ラジオはどこも普通のトーク番組だったので、情報源はスマホの速報とYouTubeのライブニュースでした。IT社会のありがたさを心から痛感しました。
雨がやっと止んだ夜明けを待って、外に出ると車の向きが、10cmほど川の方に動いていたので背筋が凍りました。
丑三つ時まで、牧之原市消防団の新人団員として巡視と詰め所で待機をしていた次男の晃司に電話して、初めて状況を説明しました。彼もほとんど寝ていなかったにもかかわらず、愛車のジムニーに飛び乗って、牽引用のロープやおにぎり、飲み物を買って大渋滞の中、2時間かけて現場に駆け付けてくれました。
自分の息子をこんなに頼もしく、誇りに思ったことはありません。いくら感謝してもしきれません。親を助けるために、今日の仕事は大遅刻でした。上司や同僚のみなさん、本当にすみません。すべては私の責任です。
晃司に遅れること30分、藤枝からJAFのランドクルーザーが現場に到着しました。通報から実に10時間後でしたが、静岡県全域の状況が状況なだけに、涙が出ました。感謝しかありませんでした。
ウインチを使った救出劇自体は、わずか10分で終わりました。そして、無料でした!!!! 30年以上、銀行引き落としで年会費を払ってきて本当によかったと思いました。
同居する家族3人は、2台の車に乗って昼前に自宅に帰ってきました。晃司はそのまま仕事に行き、ネラさんは車の中の片づけと掃除、私は犬の散歩に行きました。その後、私は泥のように夕方まで眠りました。
いつものように、被災した地元の各地を見て回ることも、被害の実情をリポートすることもできませんでした。。でも今回は、その資格はないのかなと思っています。もちろん、被災された県民のみなさんへの誠実な対応は、これまで通り県には、声を大にして要請はしますが…
①自然災害を絶対に甘く見ないこと。②異変を感じたら慌てずに、1度しっかり立ち止まって再考すること。そして、③お世話になった人、助けてくれた方々への感謝の気持ちを絶対に忘れないこと。
自分自身への戒めとして肝に銘じました。

おおつち保育園の八木澤園長と静岡県ボランティア協会の鳥羽事務局長。。当初は、このステキな懇親会の内容をご紹介するつもりだったのですが…