
本日7月24日は、牧之原市の誇る郷土の偉人…江戸時代中期の著名な老中(現代の首相)にして、遠江相良藩主・田沼意次侯(1719~88)の命日(享年70)です。
墓所のある東京・豊島区の勝林寺や位牌の残る市内の平田(へいでん)寺で、法要が予定されていましたが、コロナ第7波の感染爆発の影響で、どちらも中止となってしまったそうです。
一方、私は当初からの予定通り、朝から田沼家に縁の深い史跡や寺社に、意次侯の偉大な足跡を求めて…真夏の陽射しの照り付ける相良の街中で独り、流れる汗を拭き拭き、歩き回りました。。
先進的な経済政策や商人からの課税等で、幕府の財政を飛躍的に改善させて〝田沼時代〟を築きながら、長く〝賄賂政治家〟と冷遇されてきた意次侯の汚名返上と業績の再評価、そしてもちろん、地域活性化のため…
牧之原市では今年2月、官民一体で『田沼意次侯大河ドラマ誘致推進協議会』を設立し、さまざまな顕彰イベントや企画、そしてNHKへの署名活動を開始しています。『日本史上、もっとも歴史的評価が分かれる為政者』と言われる〝オラがまちの殿様〟の大河ドラマ化の道は、まだまだ厳しく五里霧中だと想いますが…
ワタシは、その壮大な夢への第一歩のためにも「まずは、この素晴らしい城下町・相良に『ブラタモリ』を誘致すべきだ!」と痛感しました!

炎天下に、意次侯ゆかりのお寺巡りをしていたら…不意に「ウチの菩提寺には行かなくていいのか?」「もう1週間以上も経ってるぞ!」という心の声が聞こえてきました。
なので…母が大好きだったヒマワリをメーンに、花束をいくつか買って行きました。墓前でヒマワリの包装に貼ってあった生産者名を初めて見たら…よ~く知っている仲の良い年下の友人でした!
なんだかとてもうれしくなって、鼻歌を歌いながら活け始めたら、見知らぬ高齢のご婦人が現れて…「ステキなお花ね! 私は役場に勤めていたころに、お父様には大変お世話になりました。墓参りに来る時には、いつもこっそり拝ませていただいているんですよ」と笑顔で話してくださいました。
日曜日の夕方に、いろんな絆や縁を再確認できる…「やっぱり故郷での生活は幸せだな~!」と思いました。家に帰ってテレビをつけると…生前の父の最後のお気に入り力士で、今私が議会控室で使っている湯呑まで持っていた逸ノ城が、新入幕から苦節8年で、悲願の初優勝を果たしました。
今日は良い日です!(^^♪