晃司が無事帰宅しました
元日に帰国した次男の晃司と、1週間後にやっと会えました!!(^^)/
年明けからの短期間での信じられないほどの感染爆発で、本日の全国の新規感染者は6000人を突破!! もはや全世界からの帰国者・入国者を一律に一定期間強制隔離する必要性も有効性も実効性も、ほとんど感じられなくなってしまったわけですが…ルールはルール。。とにかく、彼は全力で耐えてくれました。
夕方には成田空砲で解放されることを信じて…私は、昼まで県庁の自室で、年始回りや資料整理などの〝初仕事〟をこなし、午後から静岡を出発しました。
レンタカーのオーディオと自分のスマホをBluetoothで接続し…Spotifyで70年代の歌謡曲と90年代のサルサのお気に入りを大音量で流し、交互に絶唱しながら…とっても楽しく順調に、千葉県に入った17時にパーキングエリアから彼にLINEをすると…16時に埼玉県の隔離施設を出発していたはずの晃司は、まだ独房の中でした!
昨日の雪と、ここ数日の首都圏の感染大爆発の影響で、外部の検査施設から…彼が午前に受けた最後のPCR検査の結果が、この時間でもまだ届いていなかったのです。
「いったいオレは何時に成田空港で彼に会え、無事に290 kmも離れた温かいおウチまで帰り着くことができるのか??」とあまりと言えばあんまりのお上の対応と、私たちに科せられた最後の試練の厳しさに…PAのトイレの中で、しばし茫然自失してしまいましたが…「大雪の昨夜だったら、もっと大変だったなあ…」と思い直し、冷静に空港の駐車場で再会を待つことができました。
ワタシは、1984年にフジテレビのザ・ガマン(アメリカ縦断激闘編ww)で、準優勝した時に学びました。人生の喜怒哀楽は、すべてエンタメ(…とブログ)のネタです!(笑)
そしてとうとう21時前!! 何食わぬ顔でバスから降りて来た彼をピックアップ。8日未明に妻と、3匹のワン&ニャンが待ちわびていた牧之原市静波の自宅に帰ってきました。
ただし明日からまだ6日間、彼には最後の自宅待機の義務が課せられています。3週間にわたり、通算6、7回のPCR検査ではすべて陰性だった晃司ですが…万が一の事態を想定して、しばらくは我々家族も濃厚接触者とならぬよう、細心の注意しながら生活したいと思っています。
最初の休憩をした東名高速富士川SAの展望台から眺めた新年の美しい富士山です!