牧之原を築いた人々
本日の新聞に折り込んだ県政報告を持って、朝から市内全域の後援会事務所を回っています。志を同じくする多くのみなさまと、牧之原市の将来について熱く語り合っています。
心身の疲れを癒やしつつ、地元愛を新たにするため…牧之原市史料館で本日から始まった『続〝まきのはら〟を築いた人々 ~ 郷土の偉人と未公開資料展 ~』に来ています。
江戸幕府の著名な老中にして、遠州相良藩主だったおなじみの田沼意次侯をはじめ、当市に縁の深い歴史上の偉人たちの足跡や功績を、貴重な未公開資料とともに紹介している…私のような〝マキノハラマニア〟には、垂涎の展示会です!!
旧制榛原中(現榛原高)の名物校長で、この地域の偉大な教育者だった小田原勇先生のコーナで、昭和10年(1935)の培本塾創設前の発起人の一覧の中に、当時川崎町長だった曽祖父・仙作の名前を発見し、胸がいっぱいになりました。
入場料は220円。先着500人に、来年2月末まで4期に分けて開催される展示会に、何度でも入場できる、田沼侯の銅像写真が印刷された『記念御城印』がもらえますよ!
今から10年前、川崎小学校を卒業した時の息子たちです。小学校のプールの脇、市営静波グラウンドの手前に立っている私の曽祖父・仙作の銅像との3ショットです。牧之原市になる前の榛原町の前の川崎町の町長だったひいおじいさんは戦前の昭和10年前後、町役場の前に当時の静岡県では珍しかった全周400mのグラウンドを作り、町民の健康増進とスポーツ振興に寄与しました。
素晴らしいグラウンドと温暖な気候を求めて、こんな田舎に中日ドラゴンズが春季キャンプに訪れたり、大相撲の巡業やホンダのモータショーも来たそうです。茶業界で大成功を治め、人望も厚かった仙作は、その後勧められて静岡県議会議員にもなりましたが、心臓の病で60代で早世したそうです。
そういう意味では、曾祖父もまた、今の牧之原市の基盤を築いた郷土の偉人の1人でもありました。
巷では、私は偉大な父哲司の威光で苦労もせずに政治家に転身したボンボンだということになっていますが…実は、亡き父こそが、自分の祖父の知名度を生かして30代で政治の世界に飛び込んだ、筋金入りの世襲政治家(1代空いていますが…)だったのです。