コロナ禍の「英霊顕彰祭」
今日は、戦後76年の終戦記念日です。静岡縣護國神社で斎行された『英霊顕彰祭』に、出席しました。私は…県議に当選させていただいた2年前からご案内をいただくようになり、8月15日に参拝しています。
祖国のため、家族のために、尊い身命を捧げられ、今日の日本の礎になられた御英霊のみならず、非業な戦火に倒れた世界中のすべての国の民間人、そして今もこの地球上で絶えることのない、あらゆる戦没者の御霊を弔うつもりで、参列させていただいています。
感染拡大が止まらないコロナ禍に加え、芦原宮司が「私は40年ここにいますが、この時期に3日連続の雨なんて初めてです」と驚く異常気象で、日本中が不安にかられ、まったく先の見えない世の中ですが…
太平洋戦争の焦土から立ち直り、我が国を世界屈指の経済大国へと押し上げた先人たちの熱意と気概に思いを馳せ、アフターコロナ時代の復興の一助を担う決意を新たにしました。
神事では全員が、演奏だけの国歌を心の中で歌い、正午に1分間の黙祷を行った後、昭和20年8月15日正午にラジオで流れた昭和天皇の『玉音放送(終戦の詔書)』を頭を下げたまま聴き入りました。お馴染みの漢字とカナカナ混じりの原文は、書き写しても難解で…今の我々には意味がわからない箇所が多いので、現場でも配られた現代語訳をご紹介します。
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【終戦の詔書】
私は、世界の情勢と日本の現状を深く考え、緊急の方法でこの事態を収拾しようとし、忠実なるあなた方臣民に告げる。
私は政府に対し、「アメリカ、イギリス、中国、ソ連の4カ国に、共同宣言(ポツダム宣言)を受け入れる旨を伝えよ」と指示した。
そもそも日本臣民が平穏に暮らし、世界が栄え、その喜びを共有することは、歴代天皇の遺した教えで、私も常にその考えを持ち続けてきた。アメリカとイギリスに宣戦布告した理由も、日本の自立と東アジアの安定平和を願うからであり、他国の主権を排して、領土を侵すようなことは、もとより私の意志ではない。
だが、戦争はすでに4年も続き、我が陸海軍の将兵は勇敢に戦い、多くの役人たちも職務に励み、一億臣民も努力し、それぞれが最善を尽くしたが、戦局は必ずしも好転せず、世界情勢もまた日本に不利である。それだけでなく、敵は新たに残虐な爆弾を使用して、罪のない人々を殺傷し、その惨害が及ぶ範囲は測り知れない。
なおも戦争を続ければ、我が民族の滅亡を招くだけでなく、ひいては人類の文明をも破壊してしまうだろう。そのようなことになれば、私はどうして我が子のような臣民を守り、歴代天皇の霊に謝罪できようか。これが、共同宣言に応じるよう政府に指示した理由だ。
私は、アジアの解放のため日本に協力した友好諸国に対し、遺憾の意を表明せざるをえない。日本臣民も、戦死したり、職場で殉職したり、不幸な運命で命を落とした人、またその遺族のことを考えると、悲しみで身も心も引き裂かれる思いだ。また、戦争で傷を負い、戦禍を被り、家や仕事を失った者の生活も、とても心を痛めている。
これから日本はとてつもない苦難を受けるだろう。臣民みなの気持ちも、私はよくわかっている。けれども私は、時の運命に導かれるまま、耐え難いことにも耐え、我慢ならないことも我慢して、未来のために平和を実現するため、道を開いていきたい。
私はここに国体を護ることができ、忠実な臣民の真心に信じ、常に臣民とともにある。もし、感情のままに争いごとや問題を起こしたり、仲間同士が互いを陥れたり、時局を混乱させたりして、道を誤り、世界の信用を失うようなことになれば、それは私が最も戒めたいことだ。
国を挙げて家族のように一致団結し、この国を子孫に受け継ぎ、神国(日本)の不滅を固く信じ、国の再生と繁栄の責任は重く、その道のりは遠いことを心に留め、持てる総ての力を将来の建設に傾け、道義心を大切にし、志を固く守り、国の真価を発揮し、世界の流れから遅れないよう努力しなければならない。あなた方臣民は、これが私の意志だとよく理解して行動してほしい。
裕仁 御名御璽
昭和20年8月14日