
静岡市の駿府城公園で開催された『東京2020オリンピック聖火リレー・セレブレーション』に、伺いました。
20年間もスポーツ新聞の記者だった私は本来、スポーツの祭典である五輪の日本開催を熱望し、さまざまな競技や選手の楽しい話題や情報を、喜々として書きまくるタイプの人間なのですが…
市民・県民の生命と健康を守る立場に身を置く今は、昨年来の深刻なコロナ禍と「残念」という一言では片付けられない、政府や官庁のお粗末な対応に、すっかり意気消沈してしまい…最近は、五輪関連の話に触れることも避けるようになっていました。
それでも、いよいよ開幕まで1カ月となり「本当にやるのかな?」と疑心暗鬼だった静岡県にも聖火リレーがやってきました。明朝は、牧之原市でも行われます。
会場に行く途中から、やっぱり普通ではない今の現実の風景や、どうしても盛り上がりに欠けるステージをガラガラの来賓用の特等席から、複雑な気持ちで眺めていました。
大変な逆風と制約の中、ありとあらゆる準備と対策に全身全霊を傾けてくださっているすべての方々の想像を絶するご努力、ご苦労に最大限の敬意を抱きつつ…
延期されたこの1年間を、有効で意味のある期間にできなかった政治家の責任の重さも、実感しました。私にはわかりません。。本当に今、日本は五輪を開催してもよいのでしょうか?

32年前のあの夜の〝革命〟は、忘れません! 世界青年の船でご一緒した東京の著名な精神科医の山登敬之先生が、Facebookに投稿されていた素晴らしい思い出話をご紹介します。
当時23歳の私も、体制側である管理部の人間(=スペイン語通訳)でしたが…最初から最後まで〝傍観〟しておりました。
「自分も夜のアカプルコに繰り出したい!」「オレこそが、先頭に立って外出すべき日本人なのに…」という欲望は、じっと我慢して船に残りました。
自尊心と好奇心に満ちた「外国人青年たちを管理することなんてできっこない!」と体感しています。
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東京五輪はどうやらやるらしい。日本に入国する選手はじめ関係者には、プレイブックを配るから安心安全だという。本当なのか?
昭和から平成に移る年、オレは総務庁の主催する「第一回世界青年の船」に、指導官という立場で乗船した。これは、日本人青年100名とオセアニア、米国(ハワイ州を含む)、中南米12カ国の青年たちを170名、合計270名を晴海埠頭から船に乗せ、太平洋を渡りパナマ運河を通ってカリブ海に出て、寄港地ごとに海外の参加青年をおろして日本に戻るという、若者のための国際親善事業であった。
70日余の船旅で陸のホテルで寝たのは、メキシコの2泊だけであった。1泊めは首都のメキシコシティ、2泊めはクエルナバカのリゾートホテルに泊まった。しかし、日中は総務庁が用意したプログラムをこなすため、現地の大学を訪れたり役所に表敬訪問したりの予定がみっちり。おまけに国内の移動はバス。その中でオレたちは8時間を過ごさねばならなかった。
船が停泊するアカプルコに戻ったとき、青年たちのストレスは沸点に達していた。なかでも現地メキシコの参加青年たちは、自分たちの国の魅力を伝えられていないことに不満を訴えていた。そして、その夜、船内に彼らの声が響き渡った。みんな!パスポートを持ってデッキに集まれ!
30分もしないうちに、100人を超える青年たちがデッキに溢れた。船の管理部は青年たちの言い分を聞いて夜間外出を許した。これがオレたちの間で後々まで語り草になった伝説の「アカプルコ・リボリューション」である。
いくら厳格なプレイブックを配ったところで、海外のお客さんたちが言うことを聞いてくれるとは限らない。そのことをガースーやユリコは真剣に考えているのだろうか。当時、オレたちの乗っていた船で流行った標語を、いま彼らのために捧げよう。
日本の常識は世界の非常識。