太田恭司さん…さようなら!
2011年の東日本大震災直後、岩手県での被災地支援ボランティア活動で知り合い、親しくお付き合いさせていただいていた岩手・大槌町の太田恭司さん(享年72)が、本日お亡くなりになったことをご子息のSNSで知りました。
震災前の11年前の52歳の時に重度の脳梗塞で左半身不随になりながら、多彩な色鉛筆を駆使して描き始めた風景や人物画や心情を綴った熱い和歌や詩で、われわれを感動させてくださった素晴らしい方でした。
2012年には、私の前職のNPO法人静岡県ボランティア協会や浜松市の静岡文化芸術大学等で「色鉛筆画展」を開催させていただいたことを昨日のことのように覚えています。
当時、私が新聞記者に戻ったつもりで書いた紹介記事です。(年齢は当時)
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【希望のスケッチブック】
不自由な体で東日本大震災を生き延びた岩手県大槌町のアマチュア色鉛筆画家・太田恭司さん(64)の作品展が18日、静岡市葵区の静岡県ボランティア協会で開催された。
約300人の県民でにぎわった会場に、重い障がいと大震災の苦難を乗り越えて、自らの記憶に残る故郷や家族を描く太田さんが避難所暮らしをしていた昨春に出会った1冊のスケッチブックの送り主が訪れた。絶望の淵に沈んでいた「自分に生きる希望を与えてくれた恩人」との出会いに、太田さんの涙は止まらなかった。
優しく心温まる画風で来場者を感動させた太田さんが、作品展の最後で感涙にむせんだ。訪れたのは、掛川市横須賀の待谷(まちや)健一郎さん(51)安代さん(51)夫妻。昨年3月11日の震災後、安代さんは友人に勧められ、自宅にあった長女洋子さん(24)の中学時代のスケッチブックをクレヨンなどの文房具とともに掛川市を通じて、被災地に送った。
「大須賀中学校 待谷洋子」と書かれた使い古しのノートは岩手・大槌の避難所に届き、絵が大好きな太田さんの手に渡った。今回、そのノートの表紙を見たボランティア協会のスタッフが「これは掛川の大須賀中の卒業生かも?」と旧大須賀町の電話帳をチェック。1軒しかなかった「待谷」さんに電話をかけると大当たり。現在、埼玉で高校の国語教諭をしている長女洋子さんのスケッチブックだったと判明した。
「うちの子は、昔から絵は苦手で…。最初の1,2枚しか描いていなかったページを破り捨てて(支援物資に)出したんです。名前を消そうかとも思ったんですけど、小さな子供の落書きに使ってもらえればと…。まさか、こんな素晴らしい絵を描く先生に巡り合うなんて…」と安代さんは当惑の表情で話した。あまりにも劇的な出会いに、太田さんも感激した。
「当時は、白い紙なんてコピー用紙しかなかったんです。立派なスケッチブックが手に入り、忘れられない思い出を全部、描こうとうれしかったんです。本当にありがたかった。信じられません」と声を震わせた。
太田さんは12年前に脳内出血で左半身の自由を失った。なんとか動く右手だけで色鉛筆画を始めた。しかし、昨年の震災後の大津波で最愛の妻美津子さん(当時63)を失い、それまでの作品も愛猫も、家ごとすべて流された。
それでも、待谷さんや全国から寄せられた支援物資や義捐金、応援メッセージに励まされ、今では毎日キャンバスに向かう。出来上がった作品を1日に数首の和歌とともに、自身のフェイスブックに投稿することを生きがいにしている。
「オレは病気になったから絵を描き始めたし、震災に遭ったからこうして個展も開いてもらえる。素晴らしい出会いにも恵まれる。今は本当に幸せです。ありがとうございました。これは娘さんにお渡しください」。太田さんは泣きながら、希望の詰まったスケッチブックの中からお気に入りの1枚を破り、待谷夫婦に差し出した。【大石健司】
<2013年12月21日>?
大槌町の新築の町営住宅で一人暮らしを始めた太田恭司さんと、1年半ぶりに再会できました!( ^-^)
とても、お元気そうで良かったです。最近の色鉛筆画の素晴らしい作品をいっぱい見せていただきました!(*^^)v
<2012年5月27日>
ツインズを連れて浜松まで、太田 恭司 さんの個展を見に行ってきました。津波により奥様とご自宅、そして飼われていたネコちゃんたちを流されてしまった太田さんが、幸せだった日々を思い浮かべながら、色鉛筆で描かれた数々の絵は、とても文章では表現できないほど素晴らしく、感動的でした。帰り際、息子たちとの記念写真をお願いすると、太田さんの目から、涙がとめどなく流れ始めたのでした。