酷暑の夏に…
ここ数日、SNSや電話等で、私にご連絡いただいた市民・町民のみなさまに、議会報告書をお届けしています。
今日も日本中が暑かったです。連日の酷暑の中でも、車を出たら新型コロナ対策ためにマスクを着用して歩くので、目に前がクラクラしました。
昼過ぎにチラッと見た腕時計の温度計は、36℃でしたが…田んぼの早稲は、もう収穫目前でした!!(*'ω'*)
春と思えば夏が来て、夏と思えば秋が来て 所詮最後は寒い冬
~鮎川いずみ「冬の花」
あの日も真夏の暑い日でした。
35年前の1985年(昭60)8月12日の18時56分、日本航空123便(東京羽田発、大阪伊丹行ボーイング747SR-46)が、群馬県上野村の御巣鷹の尾根に墜落しました。
7年前の今日、このブログに書いた『日航機墜落事故』のブログを一部修正の上、再掲します。自分の書いた記事なので、もちろん著作権侵害にはなりませんし…前回から気持ちも願いも変わっていないので…
当時の吉田町、榛原町、相良町の住民のみなさんの中には、あの日の夕方、尾翼のないジャンボ機が低空飛行で上空を横切り、駿河湾の海上に出る直前で元来た北東の方角にUターンしていく光景を目撃された方もいらっしゃるようですね?
当時大学2年生だった私はお盆で帰省中でしたが、まったく気付きませんでした。それでも、ちょうど父の町長選挙中だったことと、その夜は玄関の書斎にたくさんの支援者のみなさんが集まり、深夜までテレビのニュースを食い入るように見つめていたことをはっきりと覚えています。
今、改めて当時の新聞記事を見ると…個人情報保護が叫ばれる今とはまったく違い、犠牲者の方お1人お1人の顔写真や名前、エピソードが事細かに記述されていて、事故の衝撃と悲惨さが浮き彫りになっていなす。
当時はまだ、建設構想の浮上する数年前だった富士山静岡空港を抱えるこの地域にとって、今や飛行機事故は無視できるニュースではありません。
空港会社には県や航空会社と綿密な連携を保っていただき、未来永劫に事故など起らない、安心安全の空港でなければならないとあれから35年もの歳を重ねた自分は、心からそう思っています。