9年後の「3.11」
<東日本大震災から1年後の2012年3月11日、膨大な量の瓦礫が積み上げられていた岩手・陸前高田市の海岸>
あの日から9年が経ちました。
私は2011年の3月いっぱいで新聞社を辞め、父の選挙を手伝ってから岩手の被災地に向かいました。災害用テントで寝起きした3カ月のボランティア生活で、人生観がすっかり変りました。
お誘いを受けて静岡県ボランティア協会に奉職し、被災地の復興支援や市民活動センターで2年間働いた後…大嫌いだったはずの政治の道を歩み出しました。
震災から数年間は、毎年3.11を三陸沿岸で迎えていました。この写真と投稿はちょうど1年後の陸前高田です。1段落目に出てくる島田市の市長だった桜井先生は、今は無所属の重鎮として、隣部屋の私を可愛がってくださっています。
そして、投稿の結びは…9年間の数奇な旅路の末に、県議会に辿り着いた私に向けた…過去の自分からの強烈なアンチテーゼかもしれません!
あれから9年、新型コロナウイルスの感染者は世界中に広がり、WHO(世界保健機関)は、新型コロナウイルスが『パンデミック(=世界的大流行)にあたると表明。。甲子園での第92回選抜高校野球大会は、当初の無観客試合から一転、史上初めて疫病対策で中止が決まりました。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
【大石 健司】
2012年3月11日 ?
一本松の手前には、膨大な量の瓦礫の山がありました。「山頂」にいる観光客の姿からその大きさを想像してください。私は、全国で東京都に次いで2番目に被災地の瓦礫処理の受け入れを表明した島田市の隣の市に住んでいます。
昨日からわれわれを案内してくれた地元のバスの運転手さんが、私に言いました。「岩手県民は、本当に静岡のみなさんに感謝しているんですよ」「福島からここまでの距離は、福島から横浜と同じなんですよ」。
私は、正直、なんて答えたらよいかわかりませんでした。さっきまで杉の煙を思い切り吸っていた私。個人的には、まったく何とも思っていませんが…。
暗い思いで振り向いた帰り道の視線の先に、建物の1つもない「市街地」の向こうに、陸前高田での合同慰霊祭帰りの地元の某超有力政治家の一行の車列が見えました。SPや警察、マスコミなどを引き連れて…まさに「大名行列」。この人たちが一体何をしてくれたのだろう?
胸がつぶれる思いがしました。
先週末の知事への『牧之原茶PR大作戦』が本日、やっと地元紙の記事になりました!
おそらくは紙幅の都合でww…私の名前はありませんでしたが…幸いにも氏名の漢字4字中3字がJAハイナンの理事長と一緒なので(笑)…75%は伝わったかと思います! 写真がカットされなくて良かった~!
みなさ~ん! 緑茶は“飲むマスク”です!! 健康維持のため、静岡のお茶を毎日ガンガン飲んで、免疫力を高めましょう!!