令和の時代の培本塾を!
理事を務める『公益社団法人培本塾』の本年度最後の理事会に出席しました。
この塾の象徴であり拠点でもある培本塾会館の老朽化と、急激な社会情勢の変化により、法人の存続のための課題が山積していますが…本日は、活発な意見が飛び交い、非常に有意義な話し合いができ、明るい方向性が打ち出されました。
培本塾は…1930年(昭5)に旧制榛原中学(現榛原高校)第5代校長・小田原勇先生が、勤労教育の場として、龍眼山の一角に鍬を入れたことが始まりです。この地域に「国民的農民」の養成を目指して創塾の機運が生まれ、山の斜面を切り開き畑を耕し、今の榛の木会館の場所に塾舎を建て、1936年(昭11)に、農林大臣から『財団法人培本塾』として認可されました。当時から「青少年の心身を陶冶(とうや)して、健全な精神を啓培(けいばい)し、併せて地域の教育文化の振興に寄与すること」を目的に、現在まで存続してきました。
創設者の小笠原先生と培本塾については…⇒こちら!!
しかしながら、1972年(昭47)に建設された現在の会館は老朽化が著しく、現在の耐震基準に不適であるだけでなく、駐車場もない急斜面の下にある立地的条件、建設後に認定された周辺の県立自然公園特別地域の指定のために、現在の場所に立て直すことは限りなく不可能といわれています。
加えて現在は、少子化で生徒数も減少の一途をたどる榛原高校との結びつきも薄れつつあり、52年前に農場を埋め立てて造られたグラウンドを今も間借りしている野球部員を除けば、今の榛高生にとっては一度も訪れることのない謎の施設となりかけています。
早晩、現在の鉄筋コンクリート2階建て(延床面積989.74 平方メートル=約300坪)の会館の建物を撤去した上で…10万112平方m(約3万284坪)という広大な敷地や山林を活用しながら、どこに新事務所を置き、どのような形で法人を存続させていくのか? それとも清算して解散しまうのか?? という極めて難しい命題にぶちあたっているのです。
これまで何回も行われた会議で、小田原先生の夢と理想の詰まった「公益残団法人としての培本塾は残す」という方向性は全理事の間で一致していましたが…本日は、さらに踏み込んで侃々諤々の意見交換が行われました。
ちなみに…私個人の考えでは、今の榛原高校の最大の特色である『地域リーダー育成プロジェクト 』を習得した高校生ファシリテーターの諸君と協働で、全在校生から意見を集め、令和の時代にふさわしい新しい培本塾のあり方や役割を煮詰めていくべきだと思っています。
ソフト面では、今も続いている『教育奨励賞』や『教育研究論文表彰』等の継続や新設。。そして、所有地を活かしたハード事業しとて…激しいアップダウンの山道をフルに活用した『クロスカントリーコース』や『ウォーキングルート』や『自然庭園』の整備・開放し、本格的なランナーやアウトドア派の高校生や地域住民、愛好家に親しまれ、愛される特別な環境を創出して、全県&全国にアピールしたらどうだろう?? と思いつきました!!
大学で箱根駅伝や五輪出場を目指すエリート中学生ランナーたちが、こぞって榛原高校に集まってくる日が来るかもしれません。