素晴らしき故郷・榛南
本日は、朝から吉田町の様々な女性団体が、吉田町とともに主催する『第4回よしだ未来フォーラム』に、御招待いただきました!
㈱東レ経営研究所ダイバーシティー&ワークライフパランス研究部長の渥美由喜氏による『もっと楽しもう! パパの子育て!』という講演を反省しながら拝聴しました。
女性団体のみなさまの団結力と問題意識の高さ、そして地域の将来を真摯に考えている責任感を目の当たりにして…またしても、吉田町の底力を実感したイベントでした。
午後からは、牧之原市菅山区菅ケ谷に中世から伝承されている『一幡(いちまん)神社の御榊(おさかき)神事』の取材に駆けつけました!
平安時代の第69代朱雀天皇の御代の長暦2年(1038年)に建立されたという古い神社を舞台に、古来この時期の3日間に渡って行われるこの神事は…『二十八名(=みょう。苗とも表記される)』と呼ばれる28軒の名家が、交替で祭りを執り行ってきました。
二十八名は代々決まっていて、28年に1回『本苗(ほんみょう)』という祭当番が回っていたわけですが…ご多分に漏れず、近年の過疎化や少子化で名家の断絶や辞退が相次ぎ、ついに今年から、全ての神事の儀式を保存会のみなさまが、各名家ではなく、みんなで一緒に一幡神社で実施することになりました。
昨年までの本名は、前年の本名から受け取った「御本飯(ごほんぱん)」という餅を賽の目に切って榊の葉の上に並べ、竹のすのこに包んだ『御榊様(おさかきさま)』を神社境内の栗の木と藁で作った『御仮屋(おかりや)』に安置。
祭りまでの1年間、静かに慎んだ生活を送っていました。穢れを避けるため、家長は1年間、お葬式にも出られなかったそうです。それにより「御神体に宿る霊力『稲魂(いなだま)』が増幅され、豊作をもたらす」と考えられていたそうです。
祭り2日目の本日は、神饌に使われる新しい8升もの御本飯や氏子に配られる1000枚近い牛舌の形の餅を昔ながらの作法に則り、7人でつき上げました。
総量は25升!! 本名を務めるのは、経済的にも大変だったのです!! 残念ながら今回は、私が吉田町から到着した時には、すべてつき終わっていたので、肝心の餅つきの写真がありません!
明日の最終日には、諸道具や御榊様を持った行列が一幡神社を出て集落を周り、御榊様を開いて氏子や参拝者に餅を配ります。
類似する行事は全国でも数えるほどしかない極めて珍しいこの神事は、静岡県の無形民俗文化財に指定されています。
牧之原市って、本当に凄いところです!(*´ω`*)
夜には今年も、牧之原市中里区蛭ケ谷(ひるがや)の蛭児神社に800年以上前から伝わる奇祭『蛭ケ谷の田遊び』に来ています。。そいえば、昨年は大雨の中での開催で…私は、ベストショットを狙ってかがり火の裏側から撮影していたところ、濡れた斜面に足が滑って、思いっきりコケてスーツを台無しにしたのでした。
自分ではすっかり忘れていたのですが…蛭ケ谷の役員の方や消防団の方々から口々に「あそこで滑っておいて良かったけねえ!?(笑)」「あれで運が付いただね??」と声掛けていただき、思い出しました!(*´ω`*)
さてさて、いつも書いていることですが…2012年に国の「重要無形民俗文化財」にも指定されたこの奇祭は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて始まったといわれ、楽器の伴奏や囃子がありません。
境内に積み上げられた丸太に火をつけ、これをかがり火として、蛭ケ谷地区(38戸)の青年たちが秋の「豊作」や「子孫繁栄」祈って、古式ゆかしく幻想的な舞や所作を演じます。素晴らしい伝承文化に、ただただ感服するばかりです。
番外2番を含めた17演目21役があり、前半は神々を呼び寄せ、太刀や木刀を使って場の清めを行う儀礼的な演目。後半は「田打ち」「田植え」「稲刈り」など、稲作を模した演目だそうです。
あんまり知られてはいませんが…牧之原市って、本当に凄いところなんですよ!(; ・`д・´)