
今朝は日の出前から『相良朝市』に出かけ、顔見知りのみなさんと〝冬野菜談義〟に花を咲かせました。昨今の燃料費や種子や苗、そして肥料や農薬の高騰で…1袋50円から200円の販売では「いくら売れたって、全然儲けにはならんよ。肥料代ぐらい。あとは年寄りの暇つぶし」と寂しそうに笑うおばあさんに、なんだから申し訳ないような気持になりました。
お墓に手向ける花束4つと、ホウレンソウに小松菜、ブロッコリーにジャガイモ…そして、とてもユーモラスなダイコン(2本で50円)を買いました。。
昼からは、明日16日にSPAC(静岡県舞台芸術センター)の名俳優・奥野晃士さん(50)の〝歴史演談〟『最後の仇討ち…大谷内龍五郎、牧之原に死す』が上演される牧之原市坂部区民センターに行って、1枚1500円の前売り券を購入するついでに、パイプ椅子並べなどの会場設営のお手伝いをさせていただきました!!
恥ずかしながら私は、大谷内龍五郎という歴史上の人物を今月に入るまでまったく知りませんでした。
大谷内龍五郎幸重は、幕末期に江戸幕府最後の将軍であった徳川慶喜の警護などを目的として結成隊された「彰義隊」の9番隊長をだった神道無念流の達人でした。明治維新後、大谷内ら彰義隊の残党95人は、1870年(明治3)開墾方として牧之原に移住したのですが…2人の隊員が途中が離脱。それを知った藤田と吉沢という大谷内の部下が裏切り行為と決めつけ、自分たちだけの判断で2人を殺してしまったのです。
当然、遺族は激怒。隊長の大谷内に親の仇とばかり「果たし状」を突きつけました。すでに明治の代では「仇討ち禁止令」は発令されていたにもかかわらず…大谷内は上司としての結果責任を自覚し、切腹を申し出て、今の島田市船木の松原山医王寺で腹を切り、2人の遺族に自分の首をはねさせたというのです。
時は明治3年12月21日の夜。。龍五郎享年37の生涯でした。150年前の誇り高き武士として、そして人の上に立つリーダーとしての凄まじいまでの責任の処し方の意味や重みを…平成最後の年の瀬に深く考えらせられる物語になりそうです。
明日は当日券も販売されますが…残席されは30前後だとか! 御観劇ご希望の意方は、どうか4時半の開場前までに坂部区民センターまでお出かけください!!
