田沼の町と村の地図
牧之原市史料館で12月2日(日)まで開催中の特別展『田沼のまちと村を歩くー昔の地図を見よう!ー』(主催:牧之原市教育委員会)に行ってきました!
来年の『田沼意次侯生誕300年』に向けて、市内各地でいろいろなイベントや企画が始まっていますが…田沼時代以降の江戸から明治までの市内各地の古絵図・古地図をずらっと展示しているこの企画は、近年郷土史に並々ならぬ興味を覚え始めた私には、まさに垂涎の内容でした!!
もっとも権勢をふるっていたころには、大井川左岸から御前崎周辺まで、今の吉田町と牧之原市ほぼ全域を領地としていた田沼氏の時代の古地図に散見するよく知る地名や神社仏閣…そして、対照的に現在とはまったく違う河川の流れや田畑の位置や形状に、先人たちの治水の苦労や開拓精神のすごさを改めて実感しました。
あなたは江戸時代の「町」と「村」の違いをご存知ですか?? 私は今日、史料館に伺うまで、明確な定義を知りませんでした。「規模や人口の違いかな?」と漠然と思っていました。。ざっくり言って「武士が住んでいたのが町。農民や漁民が住んでいたのが村」だったそうです。なるほど!! そうでしょうね!? 勉強になりました。
余談ですが…現在の牧之原市の市域には、江戸から明治にかけて、およそ74もの町村があったそうです。それが戦前・戦後を通じ合併を繰り返し、今では1つの市になったのです。少子高齢化と人口減少社会の進行で、これから先、日本中でさらなる広域合併の必要性が叫ばれている現代ですが…150年前の明治維新のころの社会の大変動は、平成末期の今とは比較にならないほど大胆で、抜本的だったのでしょうね。
普段は史料館の倉庫の中や個人のお宅に保管されている門外不出の古地図、絵図ばかりです。どうかこの貴重な機会に、みなさんもぜひ古き懐かしき故郷の原風景を見つけに相良庁舎横の史料館まで、お出かけください! 私は明治6年(1873)の柏原町(現静波区)の地引絵図(=人家や田畑の位置などを記した絵図)に魅せられて、30分以上見入ってしまいました。