袖取り松
今から約40年前、うら若くて見目麗しかった私がwwが、榛原中学校に通っていたころ…静波一丁目と仁田の境の角に、大きな大きな松の木が、立っていました。
その松は『袖取り松』と呼ばれていましたが、当時はその由来も何も知りませんでした。
今回、いつもの地元の民話集で、室町時代末期の1476年(文明8)に、この地の豪族・勝間田修理亮(しゅりのすけ)が、駿河の今川義忠に討たれた際に勝間田城を出た、哀れな千寿姫と乳母が、流れ矢でこと切れたこと。。
そして、村人が供養のために植えた松の周囲で起こった悲しくも恐ろしい事件から『袖取り松』と呼ばれるようになったことを初めて知りました。
道をまたいで前の家に覆いかぶさるように茂っていた松は、私の中学卒業のころにマツクイムシにやられて枯れてしまい…1981年、供養祭の後に切り倒されてしまいました。今では、祠だけが残っています。
ちなみに…命からがらこの地から逃げ出せた勝間田一族は、各地を転々とした後、富士山のふもとの印野(現御殿場市)に移り住みました。
21世紀の牧之原市には、勝間田姓の住民はいませんが…御殿場市印野区では、全119世帯のうちの76世帯が「勝間田さん」だそうです。
平安時代末期の保元の乱(1156年)に、源義朝勢の家人(当時は勝田氏)として参戦したという記録の残る由緒ある豪族が〝滅亡〟して、今年で542年!!
現在、静岡県東部を中心に全国に散らばる「勝間田」「勝田」「勝俣」「勝又」「勝亦」ら…日本のすべての「カツマタさん」のルーツも、わが牧之原市です。
明後日11日(日)には、勝間田区で『勝間田城址542年祭』が、執り行われます!
33年ぶりに剣道を再開した今年、ずっと指導してきた初心者の弟子2人に、新品の防具一式が届きました。
孫のように可愛くて可愛くて…目に涙が溢れてきました!
※2人のママから、ブログへの写真掲載許可をいただきました。