
東京・新宿高島屋の物産展三日目に、不思議なことがありました。
ブース前で、たまたま声を掛けた20代後半の若夫婦と妙に会話が弾み、何気なく「お兄さんたちは良い人だね! 上の名前でも、下の名前でもいいから教えてよ!」と軽いノリで尋ねたら…「サガラです!」
「えっ!?」と目を丸くした私の顔を見た彼は「相談の『相』に良い悪いの『良い』と書いて『相良』です」と補足してくれました!(笑)
連日、軽くニ、三百人の来場者と雑談している私ですが…どんなに話が盛り上がろうと、普段はモラルとして絶対に、一見のお客様に名前なんか訊きません!!(笑) なのに、本当にたまたま偶然、話の流れの中で初めて尋ねてしまったら『名前は相良!』と即答された時の衝撃を、あなたは分かっていただけますか?
「こんなことってある?」と興奮しながら、牧之原市と相良氏の話を始めると「ああ知ってます。そうなんです。僕は鎌倉時代に遠州相良から熊本の人吉に渡ったその相良家の末裔なんです。でも、実家は広島。ウチの先祖は、お家騒動で本家のお殿様を斬っちゃて、熊本から逃げてきた相良一族らしいです」というさらなる衝撃発言が飛び出したのでした。
若い彼にこれ以上の記憶や正確な知識がなかったことと、ちょうど混雑している時間帯だったこともあり、残念ながらこれ以上の詳細は聞き出せませんでしたが…本当に驚きました。700年続いた相良氏による肥後人吉藩のどの時代の『お家騒動』だったのか? 今は気になって眠れません!
◆相良氏 藤原南家の流れをくむ工藤氏の庶流で、工藤維兼(これかね)が相良氏の祖とされる。『寛政重脩諸家譜』によればその孫にあたる周頼(かねより)が遠江榛原郡相良荘に住み『相良』を苗字としたのが始まり。
建久四年(1193)、源頼朝の命により相良頼景が肥後国球磨に転封。以後明治維新まで、相良家は約700年間にわたって球磨地方一帯を治める。
この間、内部の抗争は結構多かったものの自壊することもなく、また地形的要因にも支えられて外部からの大きな侵略を許すこともなかった。
