7年後の「3.11」
<2011年5月27日、岩手県釜石市鵜住居にて撮影>
東日本大震災から、今日で7年となりました。
震災の後、私は20年勤めた新聞社を辞め、岩手のNPOで災害支援ボランティアとして3カ月働き、静岡県ボランティア協会に就職し、2年で辞めて、市議選に当選し、市長選に負けて…今があります。。その間、両親を相次いで亡くしました。
あっという間の激動の7年間でした。東北の復興はまだまだですが、私の人生行路も被災地同様、いまだに定まっておりません。2011年から数年間は、最低でもクリスマスの時期と震災当日の慰霊式だけには、岩手の三陸沿岸に戻って、いろんなことを考えて、できることを実行していました。
しかし、残念ながら2017年は個人的な事情で、ついに行くことができませんでした。そして、本日も行けません。。NHK主催の『ふるさとの食 日本の食 全国フェスティバル』の最終日…。東北や九州の被災地の各県代表も特設ブースで美味しい特産物を即売し、大変な盛況でした。。牧之原のお茶も良く売れました。。
しかし、2020年のオリンピックを控えて外国人観光客が増え、どんどん街並みが変わってきた東京の代々木公園では、本日が『3.11』だと実感させられるような雰囲気は、イベントのチラシの文面以外は皆無でした。。大地震の発生した「14時46分18秒」に、サイレンも鳴りませんでしたし、もちろん立ち止まって黙祷する人もいませんでした。
東京は、私が住んでいた10年前以上に、人と食と活気にあふれていて…「ここは本当に地方の被災地(…や牧之原)と同じ国なのか??」と首をかしげたくなりました。うらやましくも思いました。
今回、思い出の被災地に行けなかったことは寂しいですが…これは仕方がありません。。ボランティアは…「「できる人が、できるときに、できることを、できる範囲で行うこと」だからです。。今の立場の私が、ふらっと行ける状況ではありませんし、そんな余裕もありません。まずは、自分の生活を立て直すことが、結果的に「世のため人のため」になる近道だと思っています。
さっき帰宅して、静かに7年前を思い出しました。。大津波から2カ月たっても、瓦礫も自動車もそのままだった三陸海岸の風景を、私は一生忘れることはありません。。この大切な故郷に、同じような大津波が押し寄せた時…「今の自分なら、何ができるだろうか?」ということを自問しながら、これからも地に足をつけて生きていきます。
牧之原市認定農業者協議会のブースに、浜松市の人気マスコット『家康くん』と『直虎ちゃん』が、激励にやって来てくれました! 家康くんが「おー!『遠州のほしいも』がほしいものじゃ!」と言っていました!(笑)