昔取った杵柄
今夜は、牧之原小学校の体育館で榛南剣道連盟の『稽古始め』でした。。これまでより広い範囲の小中学生と一緒に稽古を行ったのですが…当然、私のことをよく知らない子どもたちは、他の元立ちの先生方にお願いするのと同様に、一番端の私のところにもやってくるので…まったく休むこともできません!(笑)
生来の真面目な? 体育会系の男なので、全員と本気で打ち合ってしまうので、本当に体力を消耗しますし、疲れます。それでも、元日の稽古の時よりは、体も動くようになってきましたし、何より息がそんなに上がらなくなりました。。不測のケガなどがなければ、これからどんどん慣れてきて、高校生や大人との地稽古もできるようになりそうです。
とにかく50歳をとうに過ぎてから…ビールもお酒も、ご馳走もない『新年会』で、たっぷり汗を流せる幸せ(…と苦しさ)を噛み締めました。。稽古の後に飲み干した110円のペットボトルの水が、美味しいこと、美味しいこと!! 選挙に負けて、公職がなくなったことで…年末年始のいろいろな〝お誘い〟が激減して、寂しさや虚しさを感じることもありましたが…その代わりに、初心に帰り、童心に戻って、すっかりたるんでいた心身を鍛え直す時間を天から与えられた思いです。。。やっぱり、人間万事塞翁が馬ですね。
今日は29年前の1989年(平元)に『第1回世界青年の船』が東京・晴海埠頭から出航した日でした。朝から私のFacebookのタイムラインがにぎやかです。
日本中がバブル経済に浮かれた昭和が終わり、平成の世が始まってすぐの1月に、政府が威信をかけて選抜した100名の日本人青年と185名の環太平洋諸国の青年を乗せた「にっぽん丸」が、70日をかけて太平洋を往復する船の旅でした。
私は各都道府県から選び抜かれた模範的な日本人青年…ではなくww…中米放浪帰りで既に2度目の留年が決まっていた『怪しい学生スペイン語通訳』でした。年齢的には参加青年たちの中でも最年少に近いのに、立場は管理部所属の通訳でした。
しかも、英語よりスペイン語が得意だったため仕方なく…ではなく、進んで(笑) 船内の半分近くを占めていた中南米の青年たち(ほとんど女性ww)と、いつも一緒にいたため…日本人男性陣からは、いつも冷たい視線を浴びていたことを懐かしく覚えています。
青年の船がなかったら、新聞記者にもなっていなかったでしょうし、コスタリカ人の妻とも結婚していませんでした。妻は参加青年ではありませんでしたが、参加青年に再会しようと訪れたコスタリカで妻に出会ったからです。(笑)
若いころはあんなに熱中していた剣道も、国際交流(スペイン語?)も、ずっと離れてしまっていたし…もう私の仕事や人生には「ほとんど縁がないよなあ…」と思ってもいたのですが、こうして再開、再会してみれば…「いつかは役に立ってくれるだろう!」とワクワクしてきました。