防災工事と防災教育
一昨日の水鳥たちの憩いの場から1㌔下流では、県の島田土木事務所の予算&発注による川底の浚渫(しゅんせつ)工事が行われています。
長年の土砂の堆積で、台風などの集中豪雨の際は常に氾濫の危険に晒されている地域には、とてもありがたい工事です。
一度、東日本大震災のような天変地異が発生すれば、人間の無力さを痛感する我々ですが…
平時ではやはり、現代の土木技術の優秀さ、行政の役割や大切さを再確認できます。
一見して、昔のようなたくさんの魚や水生動物の姿がないので、メリットばかり感じてしまうのかもしれませんが…災害を未然に防ぐには、やはり絶対に必要な工事です。
そんなことを考えながら、犬の散歩から戻ると……東日本大震災後の復興支援ボランティア活動で知り合い、ずっと交流を続けてきた中川優芽さんを紹介する記事が、中日新聞に載っていましました!
3年前に、私が彼女の大学のフォーラムに参加した時の記事です!⇒こちら!!
私の子どもたちとほとんどかわらない若さで、いつも自発的に、積極的にこの国の現状や課題に向き合い、若者世代から人々の意識改革や変化を目指す姿勢が素晴らしいと感服しました。
少し長いですが…以下に記事をコピペします!↓↓↓
新しい防災教育つくる 富士の小学校講師
◆釜石に移住、研究へ
富士市岩松小学校講師の中川優芽(ゆめ)さん(23)が、今春にも岩手県釜石市に移住し、防災教育の研究を始める。常葉大教育学部時代に東日本大震災の復興支援に携わり、「いざという時に自分で判断して動ける子どもを育てたい」と決意。釜石市と地方創生に関する連携協定を結ぶ慶応大大学院に入学し、「第二の故郷」と呼ぶ三陸の地と静岡をつなぐ取り組みの実現を目指す。
中川さんは常葉大一年時に、復興支援団体「結志(ゆうし)」を設立。岩手県釜石市と大槌町を年数回訪れ、地元漁師らから津波の恐ろしさや復興の現状を聞いた。昨年三月には卒業旅行として三陸方面を再訪。宿泊した旅館のおかみから「津波が来たらとにかく逃げて、と子どもたちに伝えてね」と託された思いを胸に、昨年四月から講師として小学校の教壇に立っている。
復興支援の経験から「防災を学校の科目にするべきだ」と考えるようになった。実際に教職の現場に入ると、道徳や英語のカリキュラム化などで授業時間数に余裕がないことを痛感。昨年春に小学校に入学した一年生の児童たちは東日本大震災後の生まれで震災の記憶がなく、災害に対する意識の差も感じた。
「静岡県も南海トラフ巨大地震が来ると言われている。地震や津波の恐ろしさを学ぶ機会をつくり、危機意識を持ってもらいたい」。長期休暇中の体験学習として小学生が被災地を訪れるツアーを発案。大学時代に何度も訪れた釜石市と協定を結ぶ慶応大大学院政策・メディア研究科を昨年秋に受験し合格した。
協定は、釜石市が慶応大大学院生を対象に地域おこし研究員を募集し、地域活性につながる研究を支援する内容。任用された院生は釜石市に住み込み、市が年間二百万円の活動費を支給。院生はインターネットで慶大の遠隔講義を受けながら研究に取り組む。中川さんは研究員に応募しており、この制度を使って釜石市で研究する予定だ。万一任用されなくても独自に移り住むことを検討している。
釜石市は、長年の防災教育で約三千人の小中学生がほぼ全員助かったことや、名称から津波の避難所と思い込み避難した二百人余が命を落とした「鵜住(うのすまい)居地区防災センター」の悲劇で知られる。
防災教育の研究対象となるツアーは小学五~六年生を対象に三泊四日程度の短期間で行い、防災センターなどを訪れる計画。受け入れ先などを調整し、夏休みにも初回のツアーを実施したい考えだ。
中川さんは「釜石の子どもたちは、自分たちで逃げて助かった。震災を知らない子どもたちにも、いざという時に当事者意識を持ってもらうため、新しい防災教育の形をつくりたい」と意気込む。(松野穂波)
〈常葉大学時代の中川さんの活動を紹介した記事〉