四十九日に「身口意の三業」
快晴の空と身の引き締まる寒さの中、年末年始を挟んでずいぶん遅くなった父の四十九日法要と納骨を、無事に執り行うことができました。。本来でしたら、父が生前お世話になったすべてのみなさまにご参列をお願いしなければならないところでしたが…。
大病を抱えたまま臨んだ一昨年春の県議会議員選挙後は完全に政界を引退し、闘病や自伝の執筆に打ち込んでいた晩年の父の遺志もあり、身内やごく周辺の方々だけをお呼びしてのこじんまりとした法要とさせていただきましたことをご理解いただければ幸いです。
また私自身は、11月末の突然の父の他界の際は、みなさまからの信じられない数の哀悼や励ましのお言葉に…勇気とエネルギーをいただきました! 本当に、本当にありがとうございました!
まだまだ大きな喪失感は否めない「喪中」の私ですが…ひとまず「忌中」は、抜けました。いよいよこれから、気合を入れ直して全力で前に進みます! どうかこれまで以上のご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします。
納骨に先立っての自宅での法要では、わが家の菩提寺である浄土真宗大谷派明照寺の大草御院主(住職)から、仏教における〝身口意(しんくい)の三業〟についての説法を伺いました。
身口意とは…輪廻の力となっている『三つの業(ごう)』を言うそうです。つまり…①身業=悪い行い ②口業=悪い言葉 ③意業=悪い考え のこと。。ものごとは何でも「原因」と「結果」があります。その原因と結果の間にある「影響力」みたいなものが「業」です。 原因に業(影響力)が及んで結果が生まれるわけです。
結局のところ…「行動」と「言葉」と「考え」に気をつけて、善業を積み重ねていけば、必ずや他者にも良い影響力を与えて、素晴らしい結果や評価を得ることができるという意味です。そして、蛇足ながら…人が死期を迎えた時に、五感の中で最期の最後まで機能しているのは「耳」(聴覚)なのだそうで…「死んでからもだいたい30分、長ければ3時間ぐらいは周りで看取ってくれた人たちが話していることが聞こえるそうだよ。だから、死んだ後に、自分がひどいことを言われないようにしないといかんねー」と笑顔で説教され、大きく深くうなずいた私でした!(笑)