「躍進はいばら」→「牧之原魂」
毎日毎日、亡き父〝哲司関連〟の話題で、すみません! 実際、この1週間あまりは父の死の関連以外、まともに活動していませんので…
息子が昨夜、物置部屋の押し入れの中から、父がかつて「ほぼ月刊」で発行していた活動報告紙『新・躍進はいばら』の綴りを引っ張り出してきました。
父が旧榛原町議会議員を辞して挑んだ町長選挙に敗れて、浪人中だった1978年(昭53)5月から、3年後の助役就任前までの30号が1セットになった〝永久保存版〟です! それ以前の町議時代の「躍進はいばら」は、残念ながら現存していません。
創刊当時は、まだ30代だった若き父が取材、原稿作成、広告取り、清書、作図、レイアウト……そして、製版、印刷まで! たった1人でこなして、自腹で新聞折り込み広告に入れて、町内に配布していた発行部数6000部の手書きの! A3サイズ1枚裏表のミニ新聞です。少年時代には気づきませんでしたが…今の私なら分かります! これはスゴい!! ものスゴいです!!
パソコンどころか、ワープロもコピー機もなかった時代。。当時、中学生だった私は、連日連夜自室にこもり、カリカリと音を立てて万年筆で原稿を書いたり、インクで真っ黒になってオフセット印刷の輪転機を回している父を見て…「ボクは大人になったら新聞屋さんと政治家に……だけは、なりたくないな!」と思ったのでした! まあ、なっちゃいましたけどね(笑)
こんな根気の要る、刷れば刷るほど赤字が増える新聞発行を足かけ6年、通算46号も書き続けた父の熱意とバイタリティ、そして発信力と継続力の詰まったDNAは、少しは私にも継承されているのかな? とちょっぴり自負して、誇らしい気持ちになりました。パソコンとワードやパワポさえあれば、今なら丸1日ぐらいでできそうな作業ですが…当時は、ゆうに2週間はかかったであろう大仕事です!! 私が今、何があっても毎日ブログとメルマガを書き続けるのは、「毎日書くこと」以外、昔の父には勝てそうもないことを知っているからなのです。