海野光弘版画作品展
<故海野光弘氏から毎年父に届いていた「お手製年賀状」の一部>
「体育の日」は、家族で御前崎市の名門ゴルフ場「静岡カントリー浜岡コース&ホテル」まで、素敵な〝版画展〟を観にいってきました!
1979年(昭54)に39歳の若さで他界した静岡市生まれの木版画家・海野光弘氏は、私の父が中学3年時の6月から通っていた静岡・末広中の同級生で、大親友でした。
遺作を所蔵する島田市博物館と、やはり中学の同級生だった奥様の花告枝(かつえ)さんの協力により、初めて作品が館外で展示されることを新聞報道で知った父の勧めで、記者時代には仕事で何十回も通ったコースに、初めて〝芸術鑑賞〟に訪れたのです。
残念ながら奥様と、私より2つ若い彫金作家のお嬢様にはお会いできませんでしたが…父から託されて持参した中学卒業後に毎年、海野氏から届いていたお手製の「版画年賀状」10数枚と同じものも飾られていて、びっくりするやら感動するやら…!!
「陰刻技法」という陰影を鮮やかに活かした独自の彫刻で、日本の農村や漁村の〝原風景〟を刻み続け、国内外で高い評価を受けていたという〝早熟の天才〟の才能のほとばしりをまざまざと実感できる素晴らしい展覧会でした。
入場は無料。。今月30日まで開催しています。お近くの方、ご関心のある方は、ぜひ足をお運びください!!
帰り際、展示室の中央の大柱に掲げてあった海野氏の詩が、私の目に留まりました。
『静かな感動』
人は街へ街へと文明を追い急ぎ
古いたたずまいは奥へ奥へと消えてゆく
そのあとを追うように私は心のふる里を
素朴な人間の生活を求めて歩きまわる
あのかやぶき屋根の匂いとその下に息づく人々の生活
そして自然との調和のいかに美しいことか
やがて現代という名の重みを支えきれずに
幻の昔語りになるにしても
M.Unno
「ご存命中にお会いしたかったなあ…」と思いました。
◆海野光弘(うんの・みつひろ) 1939年静岡市新富町生まれ。実家は染物業。末広中1年で版画に出会い、静岡商時代には版画界に才能が知れ渡り、NHKテレビに出演。1958年日立製作所に入社も1年で退社し、家業を継ぐ。1964年日本版画協会展に初入選。1977年スイス美術賞展優秀賞を受賞。1979年に脳内出血により39歳で急逝。1999年に花告枝夫人により全作品、スケッチ、版木や日記などを寄贈を受け、島田市博物館の分館として「海野光弘版画記念館」がオープンした。古民家や季節の田園風景や海辺の風景を、黒を基調に色を重ねていく「陰刻」という独特の技法で、数多くの版画作品を残した。黒いの部分と明るい色の対比が鮮やかな技法を用いて「日本の風景や風土、そこに暮らす人々とその暮しぶり」を、温かい眼差しで独特の版画作風に表現した。全国で人気があり、海外でも評価が高い。