相良凧と長藤の保存会
相良地区に、田沼意次候の時代から伝わる「相良凧初節句神事」に、今年も主催の観光協会からご招待いただきました。私の住む旧榛原町にはない伝統行事なので、またしても新鮮で、うらやましい気持ちになりました。
かつては…旧相良町の相良、福岡区限定で、浜松祭りと同じように海岸での町内会対抗の勇壮な「凧合戦」とセットだったそうですが…少子化でどんどん揚がる凧が減ってしまったため、昨年から市内外に在住のご家族にも門戸を広げて、市の史料館で神事だけが行われています。市長のお孫さんの凧もありました。
終了後、さがらサンビーチに行ってみると…福岡区の山本三郎さん・華乃子さんご夫妻が、二男の結翔(ゆいと)君(11カ月)の凧を持って、海で記念写真を撮りに来られました。長男の翔太君(2)の時から、海岸での神事と凧揚げがなくなってしまったそうで、「翔太の凧はおじいちゃんちに飾ってありますけど…凧揚げしないとちょっと寂しいですね。僕の凧は、海に墜ちたらしくて、残っていませんけど…」と苦笑いされていました。
本日は強風だったため…尾がない相良凧をうまく揚げるには、かなりの技量と数人の経験者の協力が必要なこともあり、山本一家は写真を撮っただけで名残惜しそうに引き上げていきました。後から聞いたところによると西原市長ご一家は、保存会のみなさんの協力を得て、見事にサンビーチの青空に凧を揚げることができたそうです! これから先、もっともっと空を飛ぶ凧が増えるといいですね?
◆遠州相良凧(えんしゅうさがらだこ) 相良藩主・田沼意次が江戸幕府の老中として権勢をふるっていた18世紀後半に創作された凧。相良に縁があった蘭学者の平賀源内(1728-1780)が伝えた長崎凧が原型とされる。縦長の角凧で、下部がやや三角に尖っている。尾はない。糸目は中心の親骨から上下に2本付け、結び目を比較的凧に近い距離にすることにより、急旋回、宙返りなど自由自在に操縦できるのが特徴。凧合戦では、凧糸にガラスの粉を練り込んだ「ビードロ糸」を使い、天空で紅白の2組に別れて、敵の凧とからめて糸を切り合い、凧を落とし合った。
『相良凧の神事』の前後には、地元の静波区仲町町内会の「長藤保存会」の一員として、4日で終了した『東光寺の長藤』のまつり会場の〝片付けボランティア〟にいそしみました。
朝は、立て看板や年代物のイスや机などを片付けるお手伝い。。午後は剪定ばさみで藤の花房をひたすら切除し続けました。藤はマメ科の植物なので…数千はある花の房には、放っておくと小さなインゲンマメ状の実がびっしりと育ってしまいます。 樹齢115年超の老木にとっては、それが大変な負担になるため…今はなるべく早く、付け根から切ってあげないといけません。
4、5人で休憩を取りながら、20㍍四方の棚に張り付いて約3時間の作業でしたがとても終わらず、まだ半分以上が残っています。ずっと上を向いていたので、普段から肩こりでガチガチの両肩に加え、今は上半身全体が鉛の入ったようになっています。
伝統文化も貴重な植物も…楽しみながら大切に守り、子や孫の世代に伝えていくのは本当に大変です!