震災でできた「路」と「絆」
牧之原市片浜の木之宮神社手前に完成した、市内最初の“津波避難地”『片浜6号』の完成式に伺いました!
これまで、人口密集地である平野部の避難タワーや避難ビルの建設が先行していましたが…今年度からは背後に山を抱える海岸線の各地区20カ所でも…住民がすぐに高台に逃げることができるような避難路の整備が進んでいます。現在、この片浜6号のほか「地頭方3号」」「大江2号」と「波津2号」の3カ所が建設中です。
昨日の「片浜小の統合決定」翌朝とあって、最初は市長や副市長、そして議長以下議員の表情に緊張の色が浮かんでいましたが…午前9時からサイレンに合わせて、避難訓練のため避難地に集まってくださった地域の住民や役員のみなさんの笑顔に救われました。これから先、ますます大変なことがあるでしょうが…行政と議会が一体となって、片浜地域の活性化と再興のため知恵を出し合って前進できれば…と思います。
<片浜6号 避難路・避難地>
・設置場所 片浜1017(大鐘家東側)
・避難地面積 128㎡
・収容人員 157人
・推定津波高 11.54㍍
・避難地標高 21.50 ㍍
・避難路長さ 270㍍
・同幅員2.5㍍
・避難路幅員 2.5㍍(スロープ式)
・施工業者 相良建設
・工事費 2466万720円(うち国費1195万7000円)
☆ソーラー式照明塔、転落防止柵設置、耐水性舗装
午後は静岡市で開催された、前職のNPO法人静岡県ボランティア協会主催の『東日本大震災5年の集い~ふじのくに三陸支援復興応援フォーラム』に伺いました。会場には、400人以上の関係者や元ボランティアで立ち見の出る超満員でした。
未曾有の大震災の記憶を風化させないこと。。そして、5年が経過しても、依然として仮設住宅などの厳しい環境の中で生活されている被災地の現状をお聞きし、これからの復興に向けた取り組みへの支援のあり方を考える集いでした。
私が2011年4月から6月まで、ボランティアの広報隊長としてお世話になったNPO法人遠野まごころネットの多田一彦前理事長(58)と久々に再会できました。現在は、昨年4月のネパール大地震の被災地への支援活動を続けている多田さんが、フォーラムの壇上から東日本大震災直後の活動報告の中で、私の名前を挙げてくださいました。。
また、ご自身のFacebookにも私のことを含め、たくさん記述してくださいましたので…ご紹介します! 無断で(笑)
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東日本大震災5年の集い by 静岡県にて。
本当に世話になった静岡県や静岡ボランティア協会の皆様と集いました。集いの内容もさることながら、オークションも盛り上がりました。そしてこの男:大石健司 彼の事は忘れられない。
震災後当初、彼は遠野まごころネットの情報発信担当をしてくれていました。現在は静岡県内で市議会議員を務めています。ある日の事、藤原紀香さん、大黒摩季さん、武蔵さんが遠野まごころネットにやってきたのです。そのとき私はちゃっかりの紀香さんとハグまではしたのですがサインをもらうのを忘れていました。ところが何と今日彼は紀香さんのサイン入りTシャツをプレゼントしてくれたのです。ありがとう!!!
彼との思いでは沢山有ります。喧々諤々議論も沢山しました。議論や喧嘩の出来る信頼関係と言うやつです。そのご子息の悠司君、この前会った時は小さかったのに、今や大石さんを越えるほど大きくなっていました。イケメンになりましたね~。遠野のちからと言う居酒屋に、ヴェルディーの菊池新吉・利三兄弟が天皇杯で優勝した時の記事が貼ってあります。あの記事を書いた記者こそ、この大石健司さんなのです。
それを大石さん本人が発見して驚いたものです。いや~本当に。静岡の皆様本当にありがとうございます。運営された小野田さん、鳥羽さんお疲れ様でした。