ドーハの歓喜!!
<リオデジャネイロ五輪最終予選兼U-23アジア選手権>
◇決勝◇30日◇カタール・ドーハ
日本 3-2 韓国 ▽得点者 【日】浅野拓磨2、矢島慎也 【韓】クォン・チャンフン、チン・ソンウ
まさに〝ドーハの歓喜〟でした! 今夏のリオデジャネイロ五輪予選を兼ねたサッカーAFC・U-23アジア選手権の決勝で、手倉森誠監督(48)率いる日本チームが、宿敵韓国に大逆転勝ちし、5年ぶりにアジアの頂点に立ちました。
今回のU-23日本代表の中心選手たちは、2012年のU-19アジア選手権、2014年のU-19アジア選手権でいずれも準々決勝で敗れた「アジアで勝てない世代」でした。大会前の下馬評を覆し、今までは勝てなかった強敵に1つ1つ借りを返し、最後に因縁の韓国に、0-2の劣勢を後半22分からの跳ね返しての優勝! おまけに1993年に私も現地で目撃した日本サッカーの負の歴史である「ドーハ」の地の称号を、〝悲劇〟から〝歓喜〟に書き換えてくれました!!
今回の快挙で、一躍、有名になった手倉森監督とは…ほんのわずかですが接点があります。Jリーグ開幕を翌年に控えた1992年、新人記者だった私はその年のナビスコ杯で快進撃を続けて注目の的だった、旧日本リーグ2部の住友金属を母体とする新興クラブ・鹿島アントラーズのグラウンドに何十回と足を運んだものでした。しかし、神様ジーコを始め、サントス、アルシンド、黒崎、本田ら、個性豊かな有名選手の取材に明け暮れ、万年サテライト(2軍)選手だった当時25歳のMF手倉森選手には、見向きもしませんでした。
それでも、鹿島には手倉森監督の双子の弟のFW浩さん(現日本サッカー協会復興支援特任コーチ)も在籍していたため…「いつかはこの2人を特集しよう」と狙っていたわけですが…あろうことか、その年の暮れ、青森生まれの兄弟はそろって鹿島から戦力外通告を受け、当時東北リーグだったNEC山形(現J1山形)に移籍していってしまったのでした。2人とも、公式戦に1試合も出場せずに…。
なので、直接取材した記憶はありませんが…鹿島時代の彼の評判は…最悪でした!(笑) パチンコや競馬などのギャンプルが大好き。。賭け事が大嫌いなジーコの目から逃れるために「パチンコ台の下に隠れた」こともあったそうです。鹿島をクビなった年の暮には、7年間の寮生活で溜めた全財産1200万円を持って中山競馬場に繰り出して「2日間で使い切った」という逸話が残っています。しかも、2日目は…「600万円を1点買い!」…って、カイジですか?? とんでもない人だったわけです。
無一文になった絶望のあまり(…そりゃしますよね?)自殺も考えていた時に山形から声がかかり「サッカーでもう1度頑張ろう!」と一念発起。。酒を取るか? ギャンブルを取るか? の選択で「ギャンブルを辞めた」のだとか!(笑) しかし、山形でもパッとせずに3年で現役引退。。28歳で指導者の道に進んだのですが…その理由が「この先、選手として陽の目を見ることはもうない。同い年のゴン(中山)や井原に指導者として勝つには、オレは早く始めるしかない!」。。実に正論です。
選手としては大成できませんでしたが…豪放磊落さと繊細さを併せ持つ魅力的な指導者です。。ギャンブラー特有の観察眼と洞察力…そして、過去の自分を「反面教師」として、教え子たちの練習や普段の生活態度をじっくり観察。。、選手の表情や顔色を見ただけで、調子や心境を見抜く能力には定評があります。選手がミスをしても「次があるよ」と優しくフォロー。「ミスを怖がって何もしないより、ミスはした方がいいんだよ」。。経験に裏打ちされた的確なアドバイス(笑) を与えるのだそうです。
ここまで五輪予選34戦無敗を誇っていた格上の韓国に2点を先行されて「ムカついていた!」「開き直って仕掛けるしかない展開だった」と封印していたギャンブラーの血をたぎらせて、矢継ぎ早の選手交代!! そして、途中出場のスーパーサブFW浅野が2ゴールでゲームをひっくり返したのですから…素晴らしいですね。
2012年に地方クラブの仙台をリーグ戦2位に導いた実績があったとはいえ、ビッグクラブを率いた経験はゼロ!!J1監督としての通算成績は50勝47分け39敗に過ぎなかった中堅監督の大ブレーク!! 「人生は何が起こるかわからない。だから楽しいんだ」が口癖の同世代の〝ギャンブラー・オヤジ〟(=いろんな意味で!ww)の1人として、心から祝福したいと思います。
<鹿島MF時代>