榛原野球の明暗
本日は、新聞記者時代でも滅多になかった2つの球場を移動する大忙しの「野球観戦」の1日でした。
まずはお昼すぎから、夏の甲子園静岡大会で、なんと15年ぶりに16強に進出した母校・榛原高校の応援に、草薙球場に行きました。記者時代は何十回も通った球場ですが、グラウンドが拡張され、スタンドが新装されてからは初めての訪問でした。そして、私は生まれて初めてチケットと大会プログラムを買い、一塁側応援席で高校時代の剣道部の親友Hクンと一緒に、ワイワイガヤガヤ楽しく観戦させてもらいました。
試合はいきなり1回表、今や甲子園常連の強豪・常葉橘からあっさり先制したから、さあ、大変!!実に27年ぶりの8強……いや、「このまま創部114年目で悲願の甲子園初出場だー!!」という楽観的な空気が、歴代のOBや卒業生たちで埋まったスタンドに漂いました。しかし、そんなに人生も野球も甘くはありません。。先制後の満塁機に追加点を奪えなかったのがケチのつき始め。。
その裏にあっさり同点に追いつかれると、2回以降も度重なるチャンスを得るも、犠打失敗や盗塁死、併殺などを連発して、ずるずるとゼロ行進。逆に、試合巧者の橘に、小刻みに加点された後の7回に一気に3点を奪われ、終わってみれば1-6の完敗でした。3回戦で、この春まで自分たちの指揮を執ってくださった鈴木監督率いる名門・浜松商に逆転勝ちし、周囲の期待も最高潮だっただけに残念な結果でした。
元日刊スポーツ高校野球担当キャップの目で公平に見て、実力的にはほとんど差はなかったと思います。小さなミスが、大きな差になって表れてしまうのが高校野球の恐ろしさですね。この経験を生かして、新チームには捲土重来を期してほしいものです。この日登板した二枚看板は2年生でしたから、来年に期待したいと思います!
悔しさを押し殺してマイカーに飛び乗って、焼津球場に移動しました。こちらは、5年ぶりに中体連の軟式野球県大会に出場したこちらも母校・榛原中学(志太榛原2位)の1回戦でした。相手は、賀茂・東豆地区王者の熱海中学。いわゆる『ハイチュウ対ネッチュウ』の暑苦しい激突でした。
我が家の長男には、背番号がありません。最後の夏の最後の舞台をスコアラーとして迎えました。県大会の選手登録締め切り直前、彼は監督に呼ばれました。来年のことを考えて、有望な2年生をベンチ入りさせたい監督から、スコアラー転身を依頼されたのでした。
体格とルックスは一人前の彼ですが、はっきり言ってがむしゃらに練習するタイプではありません。記者の目でなく、親のひいき目で見てもヘタクソです。やっぱり、これまでの本人の努力…そして何よりも彼に野球を勧めた父親の協力が…決定的に足りませんでした。
それでも、彼は彼なりに祖父や親の期待に応えようと精いっぱい、頑張ってきたと思います。ひとしきり泣いた後、彼は申し訳なさそうな監督にマネージャー転向を快諾したそうです。
試合前の守備練習も、試合前後の挨拶の整列にも、1人だけベンチの中にいて参加できないけれど…いつも爽やかな顔で、仲間と一緒に戦っている…私の自慢の息子です。「今日は、せっかく見に来てくれたのに…こんな子供でゴメンね…」と謝られ、私も少し泣きました。彼には、この悔しさを必ず糧にして頑張って、人生の違う舞台で今度こそ、レギュラーとして輝いて欲しいと思います。
試合は息づまる投手戦の末、最終7回に相手投手の暴投で決勝点が転がり込み、1-0で見事初戦を突破しました。明日の2回戦でも彼は一生懸命、スコアブックに仲間たちの戦いを足跡を記録することでしょう。