牧之原をアーチェリーの聖地に!
<日体大時代の東日本大会での大石さん>
風薫る4月から、静岡アーチェリー界のヒロインが、故郷・牧之原市に帰ってきました!!
この春、日体大を卒業した大石早紀さん(22)は、生まれも育ちも静波1丁目。。私と同姓ですが…親戚ではなく、私や妹の中学時代の恩師のお孫さんなのです。相良高時代は全国選抜個人4位。国体でも7位(団体)と大活躍。大学時代もインカレなど数々の大会で輝いてきた実力者です。
このたび実家に帰り、地元の企業に就職してくれたというだけでも、過疎化の進む市の議員の私にとっては感謝感激なことなのですが…こんな美女アスリートが、これからもわが市で現役生活を続けて、県の代表として国体などの全国大会出場を目指すというのです!! 素晴らしいじゃないですか? 元スポーツ紙記者の血がうずき、早速お話を聞きに行ってきたというわけです。
お父さんの康浩さん(53)とともに、彼女が高校時代、練習に励んでいた「ぐりんぱる」でお会いしました。ぐりんぱるは、2003年(平15)の静岡国体の時の「アーチェリー会場」だったんですから、「練習には最適だろう?」と思っていた私は愚か者でした。
当時の試合会場とは、通常サッカーやソフトボールが行われているグラウンドの中。。どこを探しても、アーチェリー場などありません。。早紀さんはは仲間たちと、高校時代からグラウンドが開いている時間帯を探して、倉庫の中から重い「的」を出して200mも運んで、グラウンド中央に杭を打って設置してから、やっと練習していたのだそうです。
市内の公共施設でアーチェリー場があるのは、榛原中だけ。。しかし、当然のことながら中学の大会用の30mと50mの距離にしか対応できません。現代の国内大会、国際大会はすべてまったく感覚も射る力、角度の違う70mで行われるのです。大学時代は当たり前に、毎日70mで練習してきた早紀さんは今、自宅で畳に向かって至近距離から弓を射っているだけだというのです。
しかし、実はぐりんぱるにも、恒常的に70mの練習ができそうな場所がありました。一番北のA面の外野スタンドに、国体開催時に練習用に設置された的場の跡が錆びたまま残っていました。今やあまりにもみすぼらしい「遺跡」ですが、草を刈り、鉄骨を磨けくだけで素晴らしい常設の練習場に変身が可能だったのです。
2月議会での一般質問で、私は市長に「2020年の東京五輪を見据えて、国内外の一流アスリートの集う合宿地として牧之原市も手を挙げないのか?」と尋ねました。その答えは「インフラが整っていないため、選手合宿誘致などは難しい」でした。でも、この写真の場所を整備さえすれば、ぐりんぱるで一流のアーチェリー選手が練習するためには、極端な話、雨よけのカバーを買うぐらいしか手間もお金も、かからないのです。
資金難でインフラが整っていない牧之原市において、アーチェリー選手は必死に個人で頑張っています。毎年のように高校総体や国体に県代表選手を送り出している競技は、わが市では他にありません。
「これから一生懸命、アーチェリーを仕事と両立させながら、また国体を目指したいです!」。目を輝かせて話す早紀さんの意欲と情熱に、なんとか応えてあげたい!! 私は強く、そう思いました。市役所の担当課のみなさん、どうか彼女やその他の社会人選手のために、一肌も二肌も脱いでいただきたい。
彼女たちが、相談に訪れた際には、最大限の善処をお願いしたいと思います! どうかよろしくお願いします。