いのちを守る植樹祭
本日は、スコップを手に『いのちを守る森づくり 植樹祭 in 牧之原』に、参加させていただきました。
「NPO法人時ノ寿の森クラブ」が主催。牧之原市や毎日新聞などが共催する「緑の堤防」で、防波堤を越えて迫りくる大津波の被害を最小限に食い止めるためのボランティア活動に、市内だけでなく、県外からも合わせて400人の有志が集まりました。
私の家から徒歩7分。カロとの散歩コースでもある勝間田川左岸に、新たに盛土された約1000平米の堤に、全員で14種類3000本もの広葉樹の苗木を植えました。
私の子どものころは、河口付近はもっと広くて深くて、大きなウナギを釣りに訪れたものでした。今では、立派な水門ができましたが、東北沿岸で崩壊している巨大な水門や防波堤を見てきた私にとっては、とても頼りない存在に思えてなりません。こういった盛り土と植林による防波堤によって、津波の威力を少しでも和らげることができれば、いいですね。
1年以上かけて準備を整えたNPOや市役所の関係者のみなさんのご尽力に、頭が下がる思いでした。
開会式で挨拶に立った今年75歳になる県議会議員の父が、終戦直後の勝間田川と静波海岸の思い出を、自身のブログに綴っています。私も初めて聞いたとても興味深い内容なので、最後に引用します。
私たちの子供の頃は、まだ国道150号線もありませんでしたので、
海水パンツ一枚で、この静波の海に泳ぎに来ました。
勝間田川の河口は堤防もなく、砂浜を大きく蛇行していました。
大潮のときに、波が逆流するポラロッカ現象に一喜一憂したものでした。
昭和の前半の砂浜一帯は、塩田でした。
灼熱の太陽で乾燥した砂塩をマンガーという道具で掻いて、
それを濾し器に入れ、塩水を加えて煮ると、原塩が出来るのです。
食糧難時代の農家の、効率よい副収入でした。
昭和の後半になって海岸観光の時代になり、塩とりは終りましたが
ここにきて津波防災問題が喫緊の課題となり、河口には防潮水門が
整備され、また、今日のような新たなふるさとづくりが始まりました。
そうした郷土の変遷と歴史の節目に参加できて、充実のひと時でした。