二度とない人生だから…
昨日の本会議最終日の逆転議決の記事が、今朝の静岡新聞に載っていました。人口4万8000人の地方都市の定数16の議会の話ですから…1段見出しの40行という小さな扱いでした。
事実関係がコンパクトにまとめられ、最後の5行には「委員会中心主義」の説明まで書かれているよい記事でしたが…やはり、今回の騒動の背景や事実関係を把握していない一般市民にとっては紙幅が足らず、少しわかりにく内容だったのでは? と思います。
もし、常任委員会の裁決通り、本会議でも「否決」されてしまっていたら…やっぱり市民には「市長が自ら決断した減給継続を議会が認めず、給料を上げさせた」と受け取られたことでしょう。。この記事をを読んで、あらためて「この結果で終わってよかった!」と実感しました。
昨日のブログの記述について、ある方から「行政と政治は違う。政治の世界では、調整とかいう名の裏工作は(必要悪として)存在する」という旨の鋭いご指摘がありました。「今回の事例を、単に『裏工作』のひとことで片付けてしまうと、行政側は何もできなくなる。議案の修正は、議会、市民に理解してもらえるギリギリの所で折り合いを付けようとしだけである」とも…。
正直言って、私もそう思います。昨日はちょっと「きれいごと」を言い過ぎたかもしれません。。古今東西、政治家というものは本来、さまざまな当事者、関係者と会って話をし、正面からの議論だけではなく、各方面に交渉したり、根回ししたり、調整したりして、よりよい解決策(=妥協案)を導くことが仕事ですから…。
しかし、その意味においても、今回の議案の「反対派」から糾弾された議員は、議会の中で権限を持つ人物の許可を得て、いわゆる『裏工作』を行ったという事実が、複数の関係者の証言で判明しています。つまり、反対討論で述べられた「議会を軽視して1人で権謀術数を用いた」という非難にはあたりません。
さらには、昨秋の議長選から昨日まで堂々と、こういった『裏工作』を駆使されてきた方々が、自分たちの行為には目をつぶり、対峙する側の水面下の動きだけを声高に指摘することには、私はどうしても納得できませんでした。
同じ志、理想を共有する議員同士が、議会の外で集まったり、勉強会を開くことは、あるでしょう。しかし、それでも「会派制」をとらないわが市の議会では、あくまで各人の1票は、それぞれの考え、意思によって示されるべきです。先輩や実力者からの依頼や圧力で左右されてはなりません。
本日は、私立「すすき幼稚園」の卒園式に、市長や同僚議員4人とともに、参加しました。
「幼児はみな天才!!」を合言葉に、体操や演劇、レスリング、ネイティブ教師による英会話指導など…先進的で個性的な幼児教育を実践している同園だけに、卒園式も「独創的」の極み…ただただ驚き、感動しました。。
きびきびと姿勢も礼儀も正しく、大きな声で返事や挨拶のできる立派な幼児たちの門出を、若い保護者のみなさんと一緒になって、目を潤ませて見送らせていただきました。62人の卒園生がキャンドルを持って入場した後、全員で「般若心経」と「三帰依」を読経したり、坂村真民の「二度とない人生だから」を合唱したり……。大石けんじ48歳。。かわいい盛りの5歳児たちに、自分が暗唱できないお経や、知らなかった「人生訓」を教えてもらいました。
「二度とない人生だから 一輪の花にも 無限の愛をそそいでいこう!」
「二度とない人生だから 一ぺんでも多く便りをしよう。返事は必ず書くことにしよう!!」
「二度とない人生だから まず一番身近な者たちに できるだけのことをしよう。貧しいけれど 心豊かに接してゆこう!!!」