母を亡くしました
私の母、大石敦子が本日9月25日午前0時ちょうどに、癌性腹膜炎による多臓器不全で永眠いたしました。 享年69。3月25日の誕生日から丸6カ月、7月の入院から2カ月半での天命でした。
先週の日曜日から、苦痛を避けるため、モルヒネの点滴を受けていました。危篤状態となってから2日間、とても苦しんだように見えました。主治医の先生によると、麻薬の影響で幻覚を見たり、無意識に体が反応していているだけで、痛みも苦しさも感じてはいなかったそうです。本当でしょうか? そうであって欲しいです。ガンによる絶命は、映画やテレビドラマで見るような静かで美しいものではなかったからです。
もう、話せなくなってしまってからも、こちらの呼び掛けには反応しましたし、私が耳元で音楽をかけると、うるさかったのか顔をしかめました。親友からいただいたフランスのルルドのお水を口に含ませると、おいしそうにゴクリと飲み干しました。そして、命の尽きる2時間前からは、急に目からとめどなく涙が流れ始めました。
きっと苦しかったのだと思います。そんな姿を「誰にも見られたくない。私は1人で逝きたいの。死にかけたら、みんなここから出てってちょうだい」と3日前までは話していました。それでも、父と3人の子全員に看取られた、幸せな最期だったのではと信じています。
写真は今年1月、彼女が一所懸命に写経した「般若心経」です。当時から、遠からずこの日が来ることを予期していたのでしょう。来春の古稀のお祝いに、3人の子供夫婦と7人の孫たちを連れての家族旅行を夢見ていました。
先週、母は言いました。「震災の津波や、今回の台風18号で死んでいった人に比べたら、どんなに私は幸せでしょう。今は感謝の気持ちしかないわ。家族のみんなと十分すぎるほど話せたし、今もこんなに楽しいし。。困るわ!あんまり楽しくて、死ねなくなっちゃう」と。
病院で、きれいに全身を洗ってもらい、ステキなエンジェルメーク(死化粧)を施してもらい、お気に入りの紫の着物を着せてもらいました。今は、自宅の仏間で安らかに眠っています。
合掌。