大火の糸魚川に義援金
<現地に駆けつけた浜松市在住のボランティア仲間が撮影した糸魚川市の市街地のビル>
本日13日、私の所属する牧之原市議会文教厚生委員会(植田博巳委員長)は、昨年12月22日に市街地の約4万平方㍍、160棟を焼失する大火に見舞われた新潟県糸魚川市の倉又稔市議会議長に宛てて、8人の委員がポケットマネーで出し合った義援金10万円を送付しました!!
くしくもわれわれ8人は、昨年7月の委員会視察研修で糸魚川市を訪問し、同市が積極的に推進している、乳幼児から高校卒業までの子どもたちをすべて対象にした「子ども一貫教育」の取り組みと成果について、研修させていただきました。
その様子は…⇒こちら!!
そんなうれしいご縁ができた都市で起こった「過去20年間で日本最悪の大火」を〝対岸の火事〟として傍観できないということで、12日の委員会の最後に私が口火を切って提案させていただくと、同じ心境だった他の議員のみなさんからすぐに賛同をいただき、その場で現金を拠出し合って…トントン拍子で話が進みました。
地震や水害などの「天災」とは違い、火災は本来「人災」の側面が強いため、一般的に公的な支援はほとんどないにもかかわらず…火元の〝加害者〟からの補償は、法律上義務付けられていません。。突然、年の瀬の寒空の下に、焼け出された方々の物心両面でのショックと損害は計り知れないわけですから…こんな緊急時には、たとえ「(遠方の)火災被災者のための義援金」の前例はなくても…議会内の有志だけでも、どんどん行動に移すことは大切だと思いました。たとえ少額でも「やるか、やらないか」「行動するか、見ているか」の違いは無限大なのですから!!
私は、7月の委員会視察の終わりにちょっと立ち寄った『フォッサマグナミュージアム』と『長者ケ原遺跡』の素晴らしさに感激し、3週間後に次男を連れて…この本州を分断する「フオッサマグナ(巨大な溝)」の西の境界である「糸魚川静岡構造線」の北端の地を再訪し、糸魚川の魅力を堪能しました!!
その様子は…⇒こちら!!
大火のあった一帯は、市街地中心部の糸魚川駅から北側に位置していて。そこは、主に昭和初期に建造された雁木造の商店街や木造住宅の密集地域でした。人的被害は、消防団員9人を含め、計16人がやけどなどの軽傷で、幸いにも死者は発生しませんでした。しかし、1650年創業の新潟県最古の「酒蔵」をはじめ、多くの歴史的、文化的家屋が焼失してしまいました。
私は次男と一緒に、まさにその長屋街をぶらぶら歩き回り、テレビや新聞でも何度も登場していた件の酒屋「加賀の井酒造」の若旦那から、江戸時代に栄えた宿場町・糸魚川の参勤交代時の話などを直接伺会って、感心したことを昨日のことのように覚えています。
また、大火災後には静岡や全国のボランティア仲間が、被災地を訪れ、瓦礫の片付けや引っ越しの手伝いなどを頑張っている姿をニュースやSNSなどで見聞きして、ジリジリしていましたので、今回少額とはいえ、行動に移すことがでて少しだけホッとしています。