惜別の歌
本日の新聞各紙で、父の訃報を大きく取り上げていただきました。
県内に市町の首長経験者は大勢いるのに、県議会の副議長は毎年新しく誕生しているのに…これだけのスペースに顔写真付きで掲載してもらえるということは、なんといっても静岡空港開港までの約30年間に、父が流した血と汗と涙の日々を地域や県内のみなさまが記憶に留めてくださっている証だと実感しています。
また、この2日間、井林衆議院議員、牧野・岩井両参議院議員をはじめ、ひっきりなしに弔問に訪れてくださった国会、県議会、市議会、町議会の議員のみなさま、市長、副市長、議長、副議長、そして長年父を支えてくださった地域や支援者のみなさまにも、もはや物言えぬ父になり代わり、心から感謝いたします! ありがとうございました!!
昨日から、30日(水)の葬儀の準備に追われています。実は、入院中の父から「オレの葬式はこんな感じで頼む!」と言われて手渡されたメモ帳があります。弔辞をお願いする方のお名前や「おいおい! ちょっとこれは若すぎるだろ?」と、きっと参列者誰もが苦笑してしまうであろう『遺影写真』の指定など…豪放磊落な見た目(笑)とは違って、几帳面で思慮深い性格の現れた〝遺言〟というには、細かい指示(命令!)の数々を実現すべく、葬儀屋さんとの打ち合わせを重ねています。
そんな〝哲司セルフプロデュース〟の式典のクライマックスに、父は参列者全員に同世代の大スター小林旭(78)の歌う『惜別の歌』という名曲を「一緒に口ずさんでほしい」「参列者のみなさんに歌詞カードを配ること」と企画していました。
この歌は、父の母校・中央大学の学生歌です。中大の学生にとっては『蛍の光』にも代わる歌とされ、親しき友と別れる時、この歌を歌って別れるのを常としているそうです。また、卒業式歌として卒業生以下出席者全員が起立して厳粛に歌う大切な歌だそうです。
元々は昭和20年、中大予科生の藤江英輔氏の作曲で、島崎藤村の「若菜集」の中の「高楼(たかどの)」の詩に曲を付けたのだそうです。藤江氏が、東京板橋の陸軍造兵廠第三工場に学徒勤労動員中、戦地に赴く学友を送る歌として作ったそうです。
いかにも、ロマンチストな父らしい因縁やいわくつきのサプライズ選曲なわけですが…上記の情報は、息子で喪主である私でさえ、今回初めてネットで調べたことで知った事実でして…当日いきなり、会場にこの曲が流れても、ほとんど方は歌えるはずもなく「いい曲だなあ…」程度にしか、お思いにならないんじゃないかな? と私は危惧しております。
なので、ここは…きっと父は怒るでしょうが、私はこの場であえてフライング発表を敢行し、大石哲司の愛したこの歌を1人でも多くのみなさんに、事前に聴いていただき、メロディーを覚えていただき、当日は「みんなで大きな声で合唱していただきたい!!」と思いました!
どうかみなさん! 30日の葬儀では、万感の思いを込めてこの名曲を熱唱しましょう! こらえていた涙が止まらなくなる危険性はありますがww…私は今から暗唱できるまで歌い込みます!
惜別の歌
歌:小林旭
作詞:島崎藤村
作曲:藤江英輔
1.遠き別れに 耐えかねて
この高楼(たかどの)に 登るかな
悲しむなかれ 我が友よ
旅の衣を ととのえよ
2.別れと言えば 昔より
この人の世の 常なるを
流るる水を 眺むれば
夢はずかしき 涙かな
3.君がさやけき 目の色も
君くれないの くちびるも
君がみどりの 黒髪も
またいつか見ん この別れ