「がまだすばい!」と「頑張らざあ!」
熊本最終日の夜明け前、母の形見の寝袋の中でスマホをいじって…父の『旭日中綬章(きょくじつちゅうじゅしょう)』受章が無事、公式に報道されたことを確認しました。
私は、今まで勲章の類には、興味も関心もなかったのですが…この章は「国家又は公共に対し功労のある人が対象]なんだとか。政治家でいえば、功績を残した国会議員、都道府県知事や政令指定都市の市長、そして県議会議員の経験者といった方々にしか与えられないようです。この春の叙勲では、全国でたった45人だけ、静岡県では元参議院議員の山下善彦氏と2人だけです!! これは本当にすごいことですね!?
「この父がいなければ、今の自分は絶対にありませんでした。心から尊敬しています……」なんて、ガラにもないことを書いていると、「ゴー!」という地響きがして、トイレの個室が揺れました。震度3でした。すぐに自分の置かれた現実に戻りました!
嘉島町の避難所で「ボランティアさんに、お家の片付けを頼めるかしら…」と話し掛けられたおばあさんのご自宅が「ちょっと大変なことになっている」と言われ、下六嘉(しもろっか)地区三郎無田(さぶろうむた)の現地を下見に行って…絶句しました。
住宅地で、これほど激しい地割れと段差は初めて見ました。応急危険度判定士の調査を待つまでもなく、このお宅の中にはボランティアは入れません!一方、はす向かいの家は外見は無事ですが、中は至るところに亀裂が入り、奥に向かってかなりの傾斜ができていました。
96歳の老夫婦が、庭の倉庫で寝起きされていて…数日前に大阪から駆けつけたという息子さん夫婦は、疲労困憊の表情…。「2人に『一緒に大阪に行こう』と言っても、おじいちゃんが『大丈夫ばい!』と言い張って、避難所にも行かないんですよ。なんせ戦争に行った世代ですからね…。私たちはもうそろそろ帰りますわ」とお嫁さんが苦笑いで話していました。
災害時にはいつも、日本の高齢化と地方の深刻な後継者不足や過疎の問題が、いきなり如実に噴出します。5年前の東日本の被災地でも同じような場面に何度も遭遇しました。そしてその時、単なる1人の市民ボランティアにはできないこと、同情しただけで現状を発信するしかない問題でも…「政治家ならば、きっと何かできるかもしれない!」と直感し、私は父と同じ道を志すようになりました。
あっという間に、4日間の任務…というか、いつもの好き勝手なボランティア行脚が終わりました。17時すぎに復旧したばかりの九州新幹線に生まれて初めて乗車して福岡まで出ると…もう、そこにはいつもの大都会の雑踏…いやゴールデンウィーク初日のにぎわいが広がっていました。私には、いつでもすぐに戻れる日常生活があります。でも、熊本の被災者のみなさんには、これからも長くて辛い非日常の苦難が、待ち受けています。
それを想うだけで、胸が痛みます。仕事として、任務としてとして熊本に残れるものなら残りたい思いでしたが…すべて自己責任でやってきた市議会議員としては、いつまでも牧之原市を留守にはできませんでした。。希望通りに政治家になっても、やりたいことやしなきゃいけないことがなかなか実現できず、逆にいろんなしがらみや批判の中で、どんどん自由が利かなくなってきた自分に、少しやっきりしています。
いろんな邪念、雑念を胸の内に抱えながら、福岡空港19時55分発のFDAの最終便に乗りました。でも、機内サービスでもらった静岡茶の紙コップの優しさに、疲れ切った心が癒されました。飛行時間は、わずか1時間ちょっとでした。21世紀はそんな時代です。富士山静岡空港がなければ、今回の弾丸ボランティア紀行もできませんでした。
「とりわけ静岡空港に関して、使命感を持って取り組んできました。この地域が陸・海・空の結節点となるよう次世代の活躍に期待しています」。今朝の新聞の父のコメントが、大きなプレッシャーとなって目の前に広がった気がします。
がまだすばい(頑張ろう)! 熊本!!
がんばらざあ! けんじ!