案山子と如意輪観音様
今日は、榛原地区の新旧の素晴らしいイベントに、長男と2人で行ってきました!! まずは、牧之原市市制10周年記念事業『第3回坂口谷川(さぐちやがわ)彼岸花と かかし祭り』の開かれている細江区の会場に、お邪魔しました。
坂口谷川右岸の佐々木橋と竹橋の間の約250m。鮮やかな赤と白と…黄色!の彼岸花が咲き誇る土手に、地域のボランティア組織『花と芝生を守る会』みなさんが主催し、市内のさまざまな団体が製作した36体の「面白案山子」が、並んでいました。
人気だったNHKの朝ドラの「マッサン」や市制10周年を表現した案山子など楽しい作品を堪能した後は、勝間田区の朝生町内会へ移動!! 今週、6年(=数え7年)ぶりに、7日間だけ開帳されている『権九観音(ごんくかんのん)』に、行ってきました!!
ちなみに6年に1度の御開帳は、長野・善光寺とまったく同じということです。真新しい本堂は、朝生町内会の112軒のみなさんがお金を出し合って、今年新築されたばかりでした!!
江戸時代前期、榛原郡勝間田庄朝生郷の権九郎は、体が弱く子宝に恵まれなかった愛娘のため、日本全国の巡礼地に願掛けの旅に出たんだそうです。その甲斐あってか数年後、故郷に帰ってくると…娘は玉のような男の子を授かっていたのです。
感激した権九郎は、御仏への感謝のため出家し、「欣求和尚」と改名。そして、45歳の若さで自ら生きたまま土中に入り、7日間読経を唱えながら即身成仏となりました。このことに感銘した村人たちが延宝2年(1674)、和尚の墓前に『如意輪観音』の石像を建立したのです。今ではとても考えられない信仰心と御仏への絶対の帰依に、ただただ驚き、感心しました。私たち夫婦も結婚から8年目にやっと子どもを授かったという過去があるだけに…権九郎の思いは痛いほど伝わりました。しかし…もし、自分がその時代に生きていたとしたら…せっかく生まれた孫の成長を見ることもなく、自ら「死を選ぶという選択をとるだろうか??」と複雑な思いに駆られました。
それだけに、如意輪観音となった権九郎の偉大さを痛感しました。「如意」とは「意のまま。思いのまま」との意味ですね…。あらゆる悩みを引き受けて解決してくれるというありがたい菩薩です。以来341年、地域のみなさんや、子孫繁栄を願う人々からの篤い信仰の対象となって、大切に守られてきました。観音像に巻かれている紅白のさらしの切れ端をお腹に着けると、子宝に恵まれると伝えられていて、特に6年に1度の御開帳の週には、各地から大勢の参拝客が訪れます。
御開帳中の1週間は、町内会のみなさんが昼夜を問わず、交代でお堂に詰めて、観音様を見守っています。当番の方々は夜になっても帰宅せず…『お籠り』と称して、御堂の中に布団を敷いて眠るのだそうです! 「朝生には、特別な伝統芸能も祭りもありません。でも、こうやって、ずっと権九観音さまと一緒に340年間も暮してきたんですよ!!」。。権九堂御開帳事務局長の加藤伸行さん(53)が、誇らしげに話してくださいました!!
こんなに素晴らしい歴史と伝統と誇る観音様の6年に1度の法要を…「見逃すわけにはいかない!!」と…当初は、考えていなかった明日の式典への参列を決意しました!!