東京の雪に思ったこと
本日は、朝から本州南岸を低気圧が通過して、首都圏などは、今シーズン初の雪景色となりました。
でも、いつものように我が家のある牧之原市静波では…「ここは、沖縄の次に雪が降らない!」と地元民が口をそろえて豪語する通り、もちろんやっぱり雨でした。気温も、この時期にしては「温かい」と言える摂氏9度。。。なので、我が家の庭の河津桜が、咲き始めました!この写真の後方でたわわに実っている夏ミカンと併せて見ると…とても真冬の光景には見えませんよね?
風は強いとはいえ冬場はほとんど雨がなく快晴で、たとえ降っても雪にはならない我らが故郷のこんな素晴らしい温暖な気候を、「もっと全国にPRして、観光や屋外スポーツの合宿地として売り出していけたらなあ」と、私はいつも思っています。そのためには、冬場でも美しい海と砂浜を維持したり、芝のグラウンドや観客席付きの体育館などの施設の整備することが不可欠ですが…。2020年の東京五輪までに、新幹線の空港新駅同様、なんとか実現への道筋がつけられるように、微力ながら頑張っていきたいと思っています。
「東京の雪」と言えば…今から312年前の本日は、かの有名な赤穂浪士の討ち入り事件があった日だそうです。 「あれ? 年末の雪の日じゃなかった?」と驚いたのですが…事件当日の『元禄15年12月14日』は、今の新暦では『1703年1月30日』だったというわけです。
討ち入りは「12月14日の深夜」とされていますが、現在の時間でいうと午前4時ごろのことで、正確には12月15日未明になります。江戸時代は夜が明けるまで、日付が変わりませんでした。ご承知の通り、赤穂藩浅野家の筆頭家老大石良雄(内蔵助)率いる「赤穂浪士」46人(寺坂吉右衛門が討ち入り前に脱落?したため)が、本所(現墨田区両国3丁目)の吉良邸に押し入り、高家旗本の吉良義央(上野介)を殺害し、首級を挙げました。
主君の仇討ちを果たした家臣たちの美談として、後に歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」となって世間の脚光を浴びた「日本三大仇討ち」の有名な物語ですが…現代人の感覚で考えると、これって間違いなくテロですよね? 後先を考えず殺人未遂事件を犯した罪で切腹させられた危ない主君の無念を、家臣たちが勝手に忖度して、生き残った被害者宅に大人数で押し入り、大勢の無垢の家来や家族とともに、あらためて斬殺してしまったわけですから。。
昔も今も、歌舞伎や人形浄瑠璃という江戸時代からの大衆メディアを通じて事件を学んだ日本人の意識の中では、吉良は完全に「悪人」です。しかし、実際の史実でも、『刑事事件』としては浅野長矩(内匠頭)と赤穂浪士の方が100%犯罪者ですよね? なにしろ浅野が吉良に殺意を抱き、殿中で斬りつけた動機さえ、明らかになっていないのですから。。「時代や立場や境遇(…そして宗教)が違えば、人間はまったく違う景色を見て生きている」し、「異なる考えが衝突し、劇的にエスカレートした時は殺人も戦争も正当化されるどころか、美談にまでなる」「殺人者たちも『義士』や『忠臣』『殉教者』になってしまう…」ということが、如実にわかる好例ですね。
西側諸国だけでなくイスラム社会からも、今や『悪の権化』『狂信的殺人集団』のように思われているイスラム国の連中も、本人たちは、きっと赤穂浪士たちのような使命感と精神状態なのでしょう。
元禄の討ち入り事件の首謀者とは名字が…そして今回の人質事件の被害者とは名前が同じ私は今…後藤健二さんの生還を心から祈っています。