母のように生きたい
昨夜25日午前0時の母の死去から、まだ1日しか経っていないのに、やり場のない寂しさが疲れ切った全身に重くのしかかってきます。一睡もせずに、ひっきりなしにお悔みに訪れる来客に、発病からの2年間の病状や闘病生活の様子を伝えると…ほとんどのみなさんは目に涙を浮かべて、母の頑張りを称えてくださいます。
春先から、日に日に落ちていく体重や体力と反比例して、下腹部に水がたまり、どんどん膨らんでいきました。頭をよぎる「死の恐怖」と闘いながら、ガンに効果があるといわれるいくつかの治療法にチャレンジし続けました。しかし、病魔ははるかに強力でした。やがて、チューブで1度に1500ccもの腹水を抜いてもらっても、1週間後にはすぐ、元の太鼓腹に戻ってしまうようになりました。慢性的な重度の便秘で、肉体的にも精神的にも絶望の淵をさまよいました。そして、ついに彼女は覚悟を決めました。
7月12日に自宅を出て、地元の榛原病院に向かう車の中で、彼女はつぶやきました。「もう、私はここ(=自宅)には帰ってこないのね」。間違いなく死を覚悟しての入院だったのです。2カ月半の入院生活では「日本尊厳死協会」の会員らしく、粛々と毅然とした態度であの世への準備を整えました。
?周囲に必要以上の迷惑をかけない?延命措置は絶対に受けない?自分の醜態はさらしたくない という美学を貫きました。毎日の家族との対話を楽しみ、新聞や雑誌、大好きな本を読み、テレビドラマを見ながら、明るく楽しく、自然体で「その時」に備えました。やがて、ほとんど食事も採らないようになり、最後は絶食状態でした。
大勢の親友に囲まれた人気者の母の傍らで、通夜と葬儀の日取りが決まりました。当初、私の事務所開きが予定されていた28日(土)は、母の葬儀となりました。そして、開始時刻だった午前10時は、火葬場で棺に火が灯る時刻です。プライドを全うし燃えていく母を見ながら、私のモチベーションもきっと燃え上がることでしょう。